このコーナーは私の独断と偏見の賜物で、特定の個人や団体等を誹謗中傷したものではありません。
様々なものに興味を持ち、経験してきたことなど面白おかしく短い文章で書いていくつもりです。
また、私の個人史みたいなものにもしてゆきたいとも思っています。
興味のある方はお付き合いください。


シュークリーム作り
お菓子を作ることがお好きな方は「ああ、なぁーんだシュークリームか?簡単じゃないの?」と思われるかもしれない。
昨日のお休みに、どういう風の吹き回しか、なんとなくシュークリームを作ってみたくなった。水曜日にインターネットでレシピを調べたところ、大して難しそうでもなく、かつクリームもカスタードクリームならそんなにカロリーも高くないのではと思いチャレンジしてみることにした。
まずは、殻作りからである。レシピどおりに水や砂糖、塩、バターを溶かし、沸騰させ、そこに振るった薄力粉を混ぜる。うん、ここまでは順調。だって、どこかで書いたかもしれないが、僕は小さい時から高校生くらいまで、人間攪拌機として散々おふくろにこき使われてきたから、大体の手順は知っているのだ。そして大体のこつも分かっている。(つもりである)
ここに溶き卵を入れて混ぜ合わせるのだが、混ぜ合わせ始めると記憶がよみがえり、「これはあのパターンだな」と言うことが分かる。(えらい)混ぜ合わせ終わり、できばえに満足であったが、ここからが一苦労。天板の上にクッキングシートを乗せ、出来た生地を乗せていくのだが、残念ながら、絞り袋と口金がないので、そこらにあるナイロンの小袋でやることにした。さて、袋に入れ始めると生地が結構柔らかいのと、袋が柔らかいので、入れにくいことこの上ない。四苦八苦しながらようやく袋に入れ終わったものの、手や周りに生地がべとべと、「くそったれ!」
で、天板に流し始めたものの、生地がゆるく(柔らかく)扱いにくいことこの上ないし、ぼたぼたと落ちてくっついてしまう。でも何とか一枚の天板に絞り終え、二枚目の天板にかかろうとしたところ、クッキングシートがどこにもない!「どこだ?」と叫んでももちろん出て来る訳でもなく、間違いなく二枚切ったシートがないので、べとべとした手でやむなくもう一枚調達、やっとの思いで絞り終えた時は、拍手喝采物である。ちと、大げさだがそれから、200度に熱したオーブンに放り込み25分の時間を設定した。探し回っても、あの苦労したシートが見つからない、おかしいなぁー?と納得できずだったが探すのを断念。カスタードクリームは、殻がうまく出来ないと無駄になるので殻の出来具合を確かめてから作ることにした。
生地がゆるく、ベターっとなっていたので、「ひょっとすると失敗?」と言う思いがあったので、オーブンの中を何度も覗き込んでいたが、15−16分頃から盛り上がってきて、あのお店で売っているような形になり始めた。「うん、これでうまく行く!」と確信し、今度はクリームに取り掛かることにした。
レシピを見ているとどうも量が少なそうだったので、レシピの倍の量にすることにし、5個の卵黄と(僕はちゃんと白身と黄身を分けることが出来るんです−昔のお袋の特訓のせいで!)砂糖、小麦粉を混ぜ、そこに牛乳を入れて、煮詰めていくだけ!簡単なものです。こういう時、男って、手を抜かないから、丁寧に混ぜ続けるものだから、きれいな滑らかなそして美味しいカスタードクリームの出来上がりです。でも、最後のほうは混ぜ続けて疲れてしまったけど!何とか完成。殻のほうはすこし焼け色が薄いかな?とも思ったものの、最初はレシピどおりと思い手を加えることはしなかった。後はクリームがさめて、中に入れるだけ、冷蔵庫に入れて待つこと2時間。
お昼から作り始めて夕方になり、はさみで一つ一つ殻の横に切れ目を入れ、中にクリームを入れ始め、5ないし6個位つめた時に、実家に帰っていた女房が帰ってきた。「出来たぞ!」といいつつ二人で試食、思わず「美味しい!」やはり、自分で作ったものは最高です。もちろん、今、はやりのメラミンや農薬なども入っていないし、その他の添加物も一切なし。安全なこと間違いなしの美味しいシュークリームの完成でした。

でも、疲れた!心地よい疲労感でした。

追記:用意したはずのもう一枚のクッキングシートは思わぬところにありました。今考えてもどうしてそこに置いたのか?思い出せません。(記憶障害が始まった?)

October 24, 2008

駐車場について
当院では、駐車場は一台分しか確保しておりません。民間の監視員制度が導入されるまでは、前の道路での短時間駐車で問題になったことはありませんが、取締りがよりきつくなる事が予想されます。つきましては、午前中の診察では、道路反対側の王子動物園の駐車場(駐車場は水曜日はお休みです)のご利用をお勧めいたします。又,水曜日や午後の診察では、病院西寄りの吉田アーデント病院西側にもコインパーキングがあります。

当院で、駐車料金を負担いたしますので、ご利用の方はお気軽にお申し出ください。

 又、保証の限りではありませんが、「当院に通院中の患者さんで短時間で移動します」とのステッカーも用意しておりますのでお気軽にお申し出ください。
July 10, 2006 May 27, 2008

近くの高校生たち 3 髪型(ヘアースタイル)
近くの高校生たち  髪型(ヘアースタイル)

すぐ脇を通る女子高生を見ていて、またまた、面白いことに気がついた。
何かって?そう、題のとおりヘアースタイルなのです。100人の高校生がいると94人までは肩の少し下から、胸の前辺りまでの長さで、個々人の髪の癖によってほんの少しの違いは有るけれどほとんど同じと思える髪型をしている。少なくとも老人にはそのように見えてしまう。残りの6人は?と言うと、おかっぱや、癖がひどいのかパーマが当たっているように見える子や、上記の長い髪を後ろや左右二つに分け結んでいる子達である。
お嬢さんたち!!もう少し個性があってもいいのではないですか?皆と同じようにしていないと、「いじめ」に遭うのですか?
よく日本人はみんな同じ方向を向くと言うけれど、高校生の時から右にならえをしているとどんどん個性がなくなってくると思うのですが?いかがでしょうか?
尤も学校としてはそのほうがコントロールがしやすいのかもしれませんね?そのための制服であり、校則であり、同じ没個性人間を作るためなのでしょうね?
高校別では、やはり同じヘアースタイルをしているのは松蔭が圧倒的に多いようです。中学生から高校生まで同じ格好をしているなんて先生は教室でどのようにお感じになるのでしょうねぇーーー?後ろからみると全く見分けもつかないのでは???

とか何とか言いながら、女子高生をひそかに観察している僕のほうが変態なのかも?
September 6, 2008

近くの高校生たち 2 かっぽんかっぽん
近くの高校生たち  かっぽんかっぽん

すぐ脇を通る女子高生を見ていて、面白いことに気がついた。歩いてくる足音が“カッポンカッポン”なのだ?分かります?
よく見てみると、半分近くの子が23センチの足に25センチくらいの靴を履いているのだ。だから、足を前に出してつく時にカッポンと鳴る。観察していると面白いことに後ろを折り曲げサンダルのようにしている子や2センチくらい大き目とかと言うよりもっと大きな靴をカッポンと鳴らしている子もいる。中学生の子もいるけれど、高校生も多く、足も大きくなるから子供のように大き目を履かされているとも思えない。
なんとも不思議で老人には理解できない音なのである。カッポン!

高校別で見てみると、神戸高校や男子生徒はまずいない。海星も綱紀が厳しいからか殆どいないようにみられる。同じく葺合も見ない。龍谷はかなり上らなければならないせいか?やはり少ない。なぜ松蔭だけが?不思議だなぁー!!
May 28,2008

近くの高校生たち 1 どけどけ高校生様が通る
近くの高校生たち  どけどけ高校生様が通る

ダイエットのところでも触れたが、今、僕達は摩耶ケーブル近くのマンションから、王子動物園の前の病院まで歩いて通っている。行程は経路にもよるが、1.2kmから1.6kmというところか?(マピオンによる計測で)マンションから歩き始め、よく会う生徒たちには次のような高校がある。(学校の評判等は私の独断と偏見による)
 神戸高校(県立,共学) この学区の公立高校のトップ校、もちろん進学校
 松蔭学園(中、高等学校,女子高) 昔からのお嬢さん学校(キリスト教) 上に大学がある。進学についてはあまり知らない。
 神戸海星女子学院(小、中、高等学校,女子高) 同じくしつけの厳しかったカソリックの女子高。 昔はあまり進学に熱心ではなかったと思うけどこの頃は、かなりの進学校らしい。
 神戸龍谷学園(中、高等学校,共学)(以前の成徳) 中学時代あまり勉強に熱心でなかった人たちが多い?一芸に秀でているかも?進学は一部の人 (?)
 葺合高校(市立,共学) この学区の公立高校の三番目(?)この頃はよく知らないけど、国公立より私立に進む子が多い(?)
評判等はあくまでも私の独断と偏見であることを再度付け加えておきます。又、訂正の要求は甘んじてお受けしますのでお知らせください。
だって、患者さんの殆どは、多かれ少なかれ、これらの学校に縁がある方が殆どだから、変な事は書けない。

ところで、病院に出勤(?)する時間帯が、彼らの登校時間帯とほぼ同じで、方向が逆方向なものだから、表題の様なことがよく起こる。そして、各学校の生徒たちにも気質があるのか?おおむね次のようなことが多く感じられる。
まずマンションから出ると、すぐ横が神戸高校なので、神戸の生徒とすれ違うことになる。女の子の集団が大きくないときはこちらも向こうも気を使って道を譲り合いながらすれ違うが、女の子の集団が大きいときは女の子たちは自分たちの会話に夢中になることが多い。すなわちそこのけそこのけ状態になることがまれにある。大体、男の子は紳士で御互いが譲ることが殆ど。(さすが)神戸高校の横を下りて王子公園の横に差し掛かると状況は一変する。王子公園内の北から南の道はかなり広いのだが、道一面に横になり90%が松蔭の子達になる。5人も7人もが横に連なり各グループが重なり合いながら登校してくるものだから、こっちから変なオッサンがこようがお構いなく自分たちの会話や遊びに夢中になっている。おかげさんでこちらは小さくなってそれらの集団をかいくぐりながら歩くことになってしまう。すなわち、そこのけそこのけ状態が一番ひどくなってくる。そして女の子たちが一人でも二人でも避けようとしない子達が一番多いように思う。
また、上記の各学校の生徒たちは大体経路が決まっているようで、阪急王子公園駅や、JR灘駅および阪神岩屋駅が最寄の駅と思う。
神戸高校生はそれらの駅から通称地獄坂(別名ロマンス坂)を上ってくる。海星や葺合高校の連中はその殆どが王子公園南の幹線道路沿いを西に歩きそれぞれの高校へと上っていく。松蔭とこれらの高校の一部の生徒が王子公園内の道を上ってくることになる。
あるとき、あまりにも女子高生の勢いが激しいので、へんなオッサンになりきるべく1.カウボーイみたいな帽子をかぶることにした。2.別な帽子に変えてえみた。3.長―い杖を持ち、こっつんこっつんと音を立てて歩いた。4.杖を短いのにして音を出さないようにした。
さて一番防止効果のあったのは(一番変なオッサン扱いされたのは)何番でしょうか?よくお分かりですね?3,1,2,4の順でした。
身長以上の棒を杖代わりに持ち、片方はゴムの石突をはめ片方は棒の切りっぱなしで、普段はゴムクッションのあるほうを下にしておき、女の子の集団が近づくと反対にし、わざと大きな音を立てて歩くと、周りからスーッと水が引くようにいなくなり、通行にはこれ以上ないほどスムーズに歩くことが出来ました。他の目立たないものやただ変わっている帽子だけでは、他人に全く無関心な子も多く(会話に夢中になり)役立たないことも多かった。
でもあまりこんな格好ばかりしていると、患者さんに“あれどうしたの?“と言われるのが多くなったのでこの頃は慎んでいる。本当は僕も恥ずかしいんだよ!!
と言うわけで歩くのも大変なのです。
May 27, 2008

僕の暮らした街 1.2.3.4
僕の暮らした街 1 どんな街に住んだのかな?

今までどんな街に暮らしてきたのだろうか?ざっと思い出してみようか?
1.神戸の親戚宅の2階の信ちゃんの部屋で生まれたと聞いている。
2.物心つくまではずーっと神戸と思っていたが、一時期、家庭の事情とかで、田舎の姫路に何ヶ月かはたまた何年か知らないけど居たらしい。記憶にあるのは、おばあちゃんの背中で、田舎の空が暗く星が多すぎて怖かったことくらいしかない。
3.幼稚園(六甲幼稚園)、小学校(高羽小学校)、中学(鷹匠中学)、高校(御影高校)まではずっと同じ家にいた。幼稚園時代に、姓が大西から山本に変わった。(本家の跡取りとなった)
4.大学(北里大学)に入り、青森県十和田市に4年間住んだ。ここを僕の第2の故郷と思っている。
5.一年間神戸に帰り、又一年十和田に戻った。
6.いったん神戸に戻ったもののすぐに静岡県の焼津で鶏さん相手の獣医をしていた。
7.西宮に移り、獣医の住み込み見習いをしていたのが懐かしい。
8.ここからどういうわけか関東暮らしに変わり、東京の駒沢に一年その後、国分寺で三年近く過ごした。
9.自分の家を持ったのは、30前ぎりぎりの20歳代で、横浜の港南区芹が谷に住み始めた。ここで子育てをし、22年以上も(今まで一箇所に住んだ最長記録)我々家族を育ててくれた。
10.その間1993年、1994年、1995年と単身も含めアメリカのマサチーセッツ州のレキシントンでアメリカ生活をエンジョイした。このあたりはアメリカの中でも歴史的な街で、日本で言えば、古都鎌倉と京都を合わせたような趣がある。
11.2000年からは、生まれ故郷に帰り、神戸で暮らしている。今、病院は灘区の原田通で、住居は高尾通である。原田通は母方の祖父母がその昔牧場をしていたとかで、阪急の三宮までの延伸に伴い、現在の実家がある篠原に換地されたそうである。そのころの阪急は西灘駅(現在の王子公園駅)が西の最終駅で、ここから市電で三宮まで出ていたそうである。灘区や、市電の歴史を調べていると載っている懐かしい話である。このあたりの情報になると母の小さいころの話なので、すでに詳しい人たちは他界しているので(母の7人兄弟で残っているのは母一人)残念ながら、写真も殆ど無い。又高尾通のマンションは、小学生か、中学のときに、いとこのお友達のうちに一緒に遊びに行ったお家がマンションになったところで、これまた、何かの縁としか言いようが無い。

何か履歴書みたいになってしまったが、一つ一つの町の思い出をつづってみようかと思う。


僕の暮らした街 2 小さい子供のときの神戸?

僕の生まれたのは灘区篠原本町で、親戚の大きな洋館の2階の信ちゃんの部屋で生まれたと聞いている。このあたりの土地は、すべて母方の土地だったようで、かなりの区画を所有していたのではないだろうか?残念ながら詳しいことを知っているのは母だけとなり、その記憶もかなりたどたどしくなってきている。大きな母屋とはなれ、その周りに、大きな洋館が確か5軒建っていた。これだけで町内を構成できる。いずれも100坪は優にある大きさで、建物も大きかった。祖父母がいたらどのように配分したかは知らないが、7人兄弟なので、一人一軒づつのつもりだったと思う。しかしながら、兄弟間での軋轢や、何人かの兄弟がうまく立ち回り(と言うか母はまったくそんなことに無関心だった)本来なら、土地を処分したときに七分の一にするはずが、十五分の一くらいしか回ってこなかったように聞いている。
でもこの一角には親戚がたくさんいたので、いとこ同士でよく遊びまわっていた。今は当時の面影を残すのは僅かとなり、母方の兄弟もお袋を残して皆死んでしまった。そして、広大な土地も切り売りされ、人手に渡ってしまったものが多くなり、庭伝いに行き来していた親戚宅が、道に出て大回りしないといけなくなってしまっている。寂しい限りなり。


僕の暮らした街 3 姫路の田舎

お袋は良家のお嬢様で神戸育ち、親父は姫路の田舎の農家出身で、結婚した当時は軍人であったと聞いている。残っている写真を見てもかっこいい親父であった。しかし、神戸のお嬢様が農家なんか勤まるわけもなく、あるとき別居していた。(詳しくは知らないが---)

そのとき僕は田舎の父方のお爺ちゃんの所に預けられ、そのときの記憶がほんの少しだけ残っている。
お袋が来ないか?とぐずる僕をおんぶしたおばあちゃんの背中で、田舎の空が暗く星が多すぎて怖かったことは今もって忘れもしない。どれくらいの期間だったのか?誰がどのように迎えに来てくれたのか?そのときどれだけ喜んだのか?まったく記憶にない。(つい最近、お袋に確認したものの、歳で記憶が定かではないが、2年から3年は預けられていたらしい--道理で田舎のお婆ちゃんは孫の中で一番いたずらであった僕をかわいがってくれていたわけだ)
それ以来というわけでもないが、僕の田舎は姫路のあの家なのだ。夏休みや何かがあると田舎まで遊びに行っていた。落ち着きのない僕は、田舎に着くやいなやおじいちゃんの魚とり網や自転車を乗り回し『じゃことり』や虫取りなどにせっせと遊びまわっていた。皆に、『落ち着きのないがさつな子や』とずーっと言われてきた。とにかく、田舎大好き人間であった。だから、田舎の住宅地を相続するとなったとき、第一に置いておいてくれと頼んだのは、昔、よく遊んだ柿の木のことだった。このカキは皮をむくとゴマを混ぜたように黒い点がびっしりと入っているほうが甘く、真っ白いのは渋柿で、後で紐で結んでつるし柿にした。又、おじいちゃんが畑をやっているころは、畑でスイカを取り、井戸に入れて冷やしたのを食べるのが楽しみだったし、瓜も今みたいに洗練されていない瓜だったが、今でもその味が懐かしい。
ただ、いなかのトイレだけは苦手で、下手に派手に落とそうものなら、下から艦砲射撃を食ってしまうし、夜は、真っ暗だったのでいつも誰かについてきてもらわないとトイレが出来なかった。本当に怖かったなぁー!
そういえば、夜になるとねずみも走り回っていた。今はその家ももうない。寂しくなるばかり。


僕の暮らした街 4 大学時代を過ごした十和田市

 十和田市は、高校生のときにも尋ねたことがある。隣町の七戸町に旅行に来たことがあるからで、もちろんそのときは此処に戻ってくるなどと考えたこともなかった。
 そんなところに大学が出来ると言うので、喜び勇んで入学したが、反対に高校生のときの思い出が、そうさせたのかもしれない。一番若く物心多きときにあの十和田で暮らせたことは実に幸せであったし、学校生活も多くのいい人達とめぐり会え、充実した四年間だったと思っている。思い出は幾つもあるけど、そのうちの強烈な一撃は、十勝沖地震を体験したことかなぁー。大学2年の2時間目の授業中であったと思う、強烈な上下動があり、これはでかいぞと思った瞬間、想像以上の横揺れが襲い、目の前の黒板の横のコンクリート壁にぴぴっと亀裂の入るのがなんとも恐ろしかった。大学は休校になったものの、当時の東北本線が不通になり、太平洋側からは電車が通っていなかった。当時お世話になっていたおばさんおじさんに車に乗せてもらい(と言っても2−3時間近くかかるのです)青森まで出て電車(いえ当時は汽車)に乗ったことが懐かしい。やっぱり、十和田はそういう意味でもいろいろな思い出の詰まった僕の第2の故郷なのである。十和田のことは別なところでも書いているので、そちらもお読みいただきたい。
February 27, 2008

僕の暮らした街 5.6.7.8.9
僕の暮らした街 5 焼津

焼津のことはなんとなくあまり書きたくない。と言うのも始めて働き始めたのが焼津で、初給料で買ったヘアードライヤーが今も健在でいやな思い出があるわけでもないけど、なんとなく戻りたくない、と言う気持ちが強い。
ニワトリが好きでなかったからかな?ただ下宿のおばさんは、やさしいいい人に着物を着せているような方で、今どうなさっているだろうか?その他の下宿にいた子供たちはどうしてるんだろう?浜寿司も懐かしい。釣りもよく行った、今でも曽根釣具店の仕掛けが手元にある。お金はこのころが一番無かったかな。彼女を作ろうにもへんな子が結構いた。車も盗まれたし。ケンとメリーのスカイライン----でもいろんなことがあった。職場の上司や仲間にも変わった人が結構多かった。
いい思い出といやな思い出とを天秤にかけると、いやなほうが多くなるのかもね?
おめっちら、何してるだ?やくたいもにゃー。と焼津の人に怒鳴られそうだ。


僕の暮らした街 6 結婚、駒沢、国分寺

焼津に2年近くいたあと、本来のやりたかった獣医の開業を目指し神戸に戻ったが、すぐに、今の僕の師匠の所に住み込みで修行することになった。親父に10坪でいいから何とかしてくれと頼んでいたが、面と向かってはお前には無理だと言われ続けていた。(あとで他の人から、親父さん探していたよ!と聞かされもっと話してくれればいいのにと後悔した事がある)住み込みで修行していたが、その当時、ニクソンショックだったか?資材が高騰し、しばし、開業資金をためようと思い、会社勤めをすることにし、外資系に勤めることになった。関西勤務かと思っていたら、東京勤務となってしまい、今まで散々一人だったのでここらで結婚して身を固めようと思い、今の女房とお見合いをし、結婚することになった。お見合いは東京転勤の前の日の暑い時だったように記憶している。又、結婚はすぐに決まるかと思っていたら、結構時間がかかってしまい、お見合い後一年近くの後であった。その間僕のアパートは駒沢にあり、オリンピック記念公園まで10分くらいの所に住んでいた。6畳一間とガスコンロひとつとトイレがあるだけの今で言うワンルームで、一応鉄筋だったが古いアパートだった。そして新婚早々の数週間を此処で過ごした。新婚ほやほやの住居を捜し歩いていたが、お袋のいとこの住む国分寺に、一軒家が安く借りられることになり、入居できるまでの時間を駒沢で狭いアパートにいたという次第である。駒沢は今とは違い当時はバスしか通っておらず、渋谷も今ほど若い派手な人たちばかりではなかったし、もちろんガングロなどいなかった。
 国分寺に移ってからは、ある意味での新婚生活のスタートであったし、此処で娘たち二人も生まれている。そして、壮絶なる貯金もスタートした。自分の家がほしい、そして開業資金もほしいそんな思いからの貯金だったが、その反動で、国分寺時代は本当にお金に苦労したと言う思い出しかない。半年に一度のボーナスも使い道は決まっており、手元には1−2万円くらいしか自由になるお金が残らず、スーパーの食堂で食べるラーメン定食が大のご馳走であった。でもある意味で此処が僕らの新婚生活のスタートであり、原点であったことは間違いない。国分寺の庭の隣が小平市だった。娘たち二人は国分寺駅近くの曽根産婦人科で生まれた。


僕の暮らした街 7 最長記録/横浜

壮絶なる貯金の結果、自分の家を持ったのは、30前ぎりぎりの20歳代で、横浜の港南区芹が谷に住み始めた。ここで子育てをし、22年以上も(今まで一箇所に住んだ最長記録)我々家族を育ててくれた。スタートは上の子が3歳弱で、下の子が1歳足らずであった。
横浜については、別にページを用意してあるのでそちらをお読みいただきたい。(まだ完結していませんーーーもう少し時間をください)


僕の暮らした街 8 Lexington, MA 02173

今から振り返ってみると、開業もせずに会社勤めを長く続けてしまった理由のひとつのキーワードは、「アメリカで暮らしてみたい」だったような気がする。高校までの神戸の実家の近辺には外人が多くその頃から外国に興味のあった僕は、高校三年生のときに悪友の影響をもろに受け、海外に(当時はブラジルに!)出て行きたくて仕方が無かった。その思いは今も熱い気持ちで持ち続けている。
当時はまだ神戸と横浜に、海外移住センターがあり、悪友と二人でどうすれば良いかなど相談に行った覚えがある。外資系の会社に入ってすぐ、先輩がアメリカに一年間住み、何年か経つとこちらにもお鉢が回ってくるように、英語の勉強に励んだものである。
出張では何回もアメリカと往復はしていたが、住みたいと言う強い思いは忘れ去ることなんて出来なかった。それがずるずると居続ける原因になったかもしれない。
ようやく1993年にそのチャンスがあり、二年以上派遣されたのは僕が最長であった。アメリカ暮らしは僕にとってかけがえの無いものであったし、これほど楽しい経験がどれだけ僕の人生を変えたことか?残るのは開業のみ?
この項は又別なページに譲りたい。乞うご期待。


僕の暮らした街 9 神戸に戻って

実は神戸に戻ってくることなど考えてもいなかった。実際横浜で何頭もの患者さんもいたし、(会社勤めをしているのに!!)自分の土地や一軒の家も持っていたので、横浜を離れることなどこれっぽっちも考えてもいなかった。
念願の開業まで図分とあっちこっちの場所を探し回ったのもすべて横浜市内であった。ところが、開業の幅を広げるため、高校時代の友人が同じ獣医をしており、ある分野で立派な仕事をしていたので、その分野を教えてと半年くらいのつもりで神戸で押しかけ研修をすることにした。
そして、横浜にそろそろ戻ろうか?と言うときにひょんなきっかけから今の病院を買い取ることになり、考えても見なかった灘区での本格的な開業となった次第である。この項の一番初めのところにも書いたように、戻ってきた所が因縁めいた場所ばかりで、今では神様がここでしろとお命じになったような気がしている。
February 27, 2008

喫煙によってリスクの高まる病気
喫煙によってリスクの高まる病気

日曜日、新聞を読んでいたら題名のような記事が載っていました。データーはアメリカの保健衛生省が2004年に出した報告書の要約です。その中で、タバコを吸うことで病気のリスクが高まることが証明されたいくつかの疾病が紹介されていたので再度ここに掲載します。。
1.ガン関係
  口腔癌、喉頭癌、肺癌、食道癌、胃癌、膵臓癌、腎臓癌、膀胱癌、子宮頸部癌、
  急性骨髄性白血病
2.循環器疾患
  腹部大動脈瘤、動脈硬化、脳卒中、心筋梗塞、などの冠動脈疾患
3.呼吸器疾患
  慢性閉塞性肺疾患、肺炎、呼吸機能低下および障害
4.生殖系の疾患
  乳幼児突然死症候群、不妊(女性)、新生児低体重、妊娠の合併症
5.その他
  白内障、欠勤や入院の増加、大腿骨頚部骨折、骨密度低下、胃および十二指腸潰瘍

もちろん獣医の立場としては、伏流煙を吸い込まされている動物さんたちも同じことが言えると思う。ご自分の健康と動物さんたちの健康のためにも喫煙をおやめになったら?

なお、“どうしたら止められるか?”はこの「院長のひとり言」の中でもふれていますので一つの例としてご参照ください。
February 27, 2008

食べ物考 1,2,3,4.
食べ物考 1 うどん vs そば 1 (関西のうどん)

この頃(2002年秋)東京では何故か讃岐うどんが“はやっている”のだそうだ。僕は神戸で生まれ、高校時代まで育ったので舌はうどんでなじんできた。高校時代など、お金のなかった時代でも友達と三宮あたりに出かけると入る店は大丸の近くの「力餅」かお好み焼きの「どんどん」と決まっていた。安くてうまいので高校生にはぴったりである。(「力餅」はいつの間にかなくなっていた。2006/5月、そして「どんどん」も高級店に変わっていた。2004/5月、久しぶりの「どんどん」は少し元に戻っていた。2007/6月)
大学に進み、青森に行く途中の東京で食べたうどんに驚いてしまった。真っ黒な汁でいかにもまずそう、又食べてみると甘くて味が濃くしかも出汁が違う。それから30年以上東京圏に住んでいたが、駅の屋台や町のお蕎麦屋さんでも絶対にうどんは食べたいとは思わなかった。そう思っていたのに、あるとき西武沿線の駅前で何の気なくうどんを頼んでしまった。出てきたうどんを見て「しまった」と思ったのも後の祭り、残念ながら半分ほどしかのどを通らなかった。そうかと思うと、東京駅のすぐ近くのあるビルの地下に讃岐うどんと看板がかかっている店を偶然見つけたときは、先ほど昼食を済ませたばかりなのにどうしても飛び込んで食べたくなってしまう。肥満体に又炭水化物を詰め込んでしまう、これでは太らないわけはない。事ほど左様に僕にとってうどんは関西のうどんが好きである。


食べ物考 2 うどん vs そば 2 (新大阪)

横浜に長く住んでいたが、関西に帰ってくるたびに必ず食べていたのがうどんであった。
たとえば、新大阪につくと新幹線を降り、在来線に乗り換えるなら、在来線の陸橋の一番奥にある大きな立ち食いうどん屋であったし、新大阪で降りるなら二階のうどん屋に必ず立ち寄っていた。又、心斎橋ならあるビルの斜め前にある老舗のうどん屋と決めていた。そう、この老舗のうどん屋さんがおいしかったなぁー。大阪駅だと駅の北にある立ち食いうどんにも良く入った。
又、飛行機での移動だとわざわざバスで蛍が池に出て駅に隣接している阪急蕎麦(だったかな?)で食べていた。(当時はモノレールが無かった。(Dec,2007))
もちろん神戸だと大丸の近くにある力餅であった。
僕は関西のうどん屋であればどこでも満足できる方だろうと思う。暇に明かせて思い出したうどん屋が上記の様な所で、名店などと呼ばれるようなところは一軒もない。しかし、僕にとってはいずれも、関西に帰ってきて始めて食べる、うどん屋さんだったのである。


食べ物考 3 うどん vs そば 3 (各地のおうどん屋さん)

かまえて「各地のおうどん屋さん」等と言うほど全国のうどんを食べ歩いたわけではない。関西以外で食べたくない理由の一つには「もう失敗したくない」というのが本音である。だから東京以北では食べたことがない。もし食べるとしても麺類だとラーメンを食べていたと思う。細心の(と言うほどでもないが)注意を払って入ったうどん屋さんではやはり名古屋あたりから関西風の味付けになったと思う。静岡では殆どが東京風ので食べたことがない。ただ困るのが名古屋で、きしめんを食べることになってしまう。きしめんの出汁も関東風と関西風があり、これはどちらがうまいともなんともいえない。だから食べない。広島や福岡では関西風だった様に記憶しているが、ほかにうまいものが一杯あるのでそう度々食べたわけではない。やはり僕にとっては関西のうどんなのである。
肝心の讃岐が抜けていたが、あるとき出張で岡山に泊まる事があり、午後6時ごろ仕事が終わってから岡山駅で時間を確認してJRの特急に乗り瀬戸内海を渡って讃岐うどんを食べにいった。帰りの時間が決まっていたので坂出駅近くのお店しか行けなかったが「まあまあだった」としか記憶がない。でもやはり関西の味でおいしかったことには違いない。
そうだ、秋田の稲庭うどんを忘れていた。だしはどうであったか?温かかったのか?冷やしうどんであったのか?など全く覚えていないがとにかくおいしかったことだけは良く覚えており、お土産としても買い求めた。そして、物産展で見つけたりすると必ず買い求める我が家で定番のうどんの一つになっている。但し、だしだけは我が家の関西風であるが、冷やしでも温かくてもうまい。大好きだ。


食べ物考 4 うどん vs そば 4 (蕎麦は関東?)

「うどんは関西」と自分勝手に決め付けているが、蕎麦に関しては残念ながら関東だと思っている。
出張や外に出ることが多かったからあっちこっちの立ち食い蕎麦や立ち食いうどん及び立ち食いラーメンなどを良く食べた。うどんは関東風では食べられなかったので、東京ではよく蕎麦かラーメンを食べた。とすると、面白いもので蕎麦は関東風でないとおいしいとは思わない。うどんとは逆のことがあった。関西の立ち食いうどん屋で蕎麦を頼んでしまったら蕎麦にうどんのだしであった。残念ながらおいしいとは思わず何か物足りなかった。
品川駅の立ち食い蕎麦屋は下りの東海道線のホームと横須賀線のホームではシステムが違っていた。(今は知らないが)横須賀線のホームではいろいろなメニューがあったが(普通のお店)、東海道線のホームは“高いかけ蕎麦”だけで、トッピングが自由に好きなだけかけられた。天かす(東京では揚げ玉)やねぎ(白ねぎ)ワカメ等があったように思う。だから有料の高い天ぷらなんか頼む人はいなかった。
どっちのお店も経営は同じなのだがシステムが違う、面白い、どちらが売れていたのか聞いてみたかったが聞きそびれたままである。

July 9, 2007

食べ物考 5,6,7,8.
食べ物考 5 ついでに立ち食いラーメン

関西にいると立ち食いうどんはあるが、立ち食いそばや立ち食いラーメンは余り見かけない。どうも僕の話は立ち食いの店ばかりになっているが、本当にうまいのは立ち食いだと信じている。
東京では良く入った立ち食いラーメンがいくつかある。大船駅をでて観音様方面の陸橋にあるお店はいつ行ってもご老人の方が仕事をされていた。どこがどうのとは言わないが、ここが好きでよく途中下車をしたものだ。それと神田に2軒、一つは新しく一番東京寄りの出口を日銀方面に向かう狭い道に出来た店で、15年位前で200円だったように記憶している。安くて早い、大阪商人のやるような商売である。もう一軒は神田須田町方面で、神田駅をはさんで先ほどの店とちょうど反対にあたる。店の大きな暖簾には“支那そば”と書いてあり、なんとなく、こだわりがありそうで気後れをして入りにくい店と思っていた。あるとき決心をして(そんな大げさな)“支那そば下さい”と言ったら、主人が「ラーメンですね?」だって。拍子抜けしたものの名前のことで打ち解けてしまうと気のいい叔父さんであった。荻窪や五反田だとかテレビで騒いでいる店には一軒もいったことはないのに偉そうな事は言えないが、立ち食いの店はそれなりにいつもうまいと思って通っていた。
又食べたくなってきたが、東京はもう遠い。


食べ物考 6 ついでにラーメン考 1

残念ながら東京や横浜そして神戸なんかにあるテレビによく紹介されたり雑誌で紹介されたりした店にはあまりいい印象はない。そんなにたくさん行った事があるわけではないが、本当にうまいと思ったことが少ない。だから、“ここが有名なお店”と言われても入る気がしない。偏屈なのかもしれない。でも味と言うのは自分にあった好みの物をうまいと言うのであって、みんながうまいと言うからこれはうまいと思っていたりすることが多いように感じるのはへそ曲がりだからだろうか? で、有名店は大きく分けて油のギトギトした店とその正反対の日本風あっさり味の双極に分けられるような気がする。僕はもう若くないので前者のほうは残念ながら好きではない。娘などはどうもこちらの方が好きなようだ。少ない日本風のほうは僕達夫婦に合っているのでこっちの方は何度か足を運んだりした。
余り行かない理由のもう一つに、ラーメンとしては高いと思う。正直にそう思う。もちろんお店の人には材料や手間ひまにこだわりと思い入れが有っての値段なのだろうが、僕には安い方が良い。


食べ物考 7 ついでにラーメン考 2 北と南

北は旭川ラーメンから南は沖縄のソーキソバまで日本には独特のラーメンがあってそれはそれは楽しむことが出来る。その中で、印象に残っているラーメンを幾つかあげて見たい。
北海道と言えば札幌ラーメン横丁だろうがうまい店とそうでない店と日によってうまかったりまずかったりする店がある。店の名前などは全く覚えていないが、太い麺に味噌味で少しピリッとした野菜の多いラーメンは思い浮かべただけでつばきが出てくる。札幌ラーメンで他の味も試してみたが僕には味噌ラーメンが一番あっていた。寒い冬に酒を飲んで仕上げにラーメンを食って寝る、これぞ北の人達にとって最高の夜ではなかろうか?喜多方ラーメンは残念ながら食べたことはないが近くの米沢ラーメンは良く食べた。米沢で知らない人はいないお店でホテルの近くにあったので、出張で一杯やったあとはホテルに帰る前にみんなで仕上げに良く通った。思い出そうとしても米沢から福岡の中州まで飛んでしまう。その間はおいしいのがなかったと言うわけではないが印象に残っていない。九州博多ラーメンと言えばもちろん豚骨ラーメンだろう。初めて食べたのはいつ頃だったか覚えていないが、初めてのお店であの白い汁のラーメンが出てきたときはこんなの食べられるのかと思ったが、一口口に入れたときのあのうまさは忘れられない。細めの麺にあの豚骨スープが絡みつき一種独特の芳醇なる香りをかぎながらすするラーメンのうまかったこと。豚骨ラーメンでも余りにも匂いのきつい有名店なども有ったが総じて僕はあの豚骨ラーメンが大好きである。名前は忘れたが、博多駅の新幹線側の2階にある“からし高菜ラーメン”も独特で忘れられない。好きなだけ自分でトッピングできるので辛さを調節できるものの、スープの味を損なわない程度に入れるようにしていた。
もう一つ、あれを食べたいと言うラーメンに、新婚旅行で行った沖縄の名護で食べたソーキそばにつきる。詳しい経緯は別にして、新婚旅行中のタクシーの運転手に二箇所ソーキそば屋に連れて行かれたが、名護のお店の方が格段にうまかった。何年か後にそのお店に行くチャンスがあったが、有名になり、大きなビルを立ててお店が大きくなっていたが味はもう一つに感じてしまったのは僕だけだろうか?あのソーキそばは本土ではどこでも食べることが出来ないが、うちの患者さんの中に琉球料理のお店をやっておられる方が居り、今では思い立つとそのお店に通う。ただいつも込んでいて、いつでも食えると言うわけに行かないのが悩みの種である。
たかがラーメンされどラーメンである。


食べ物考 8 ついでにラーメン考 3 グルタミン酸ソーダ

あるとき漫画を読んでいるとSodium Glutamic Acid Syndrome(化学調味料過多症候群とでもしましょうか?)のことが書いてあった。僕は食い物を作るのが好きで、今でも一週間のうち朝、昼、夜合計27食の内26.5食位まで奥様の分も含めて僕が作っている。だから食べに行って厨房が見えたり、前で調理しているところが見える場合は食べるよりも見ることの方を楽しみにしている。いつもすごいなと思っていたのが化学調味料(味の素/ Sodium Glutamic Acid)を小さじ一杯以上も入れていることであった。だから家で作ってもあんな味が出ないのか?などとあきらめていたが、外で食べたときのあの後味のすっきりしないことが気にはなっていた。何のことはないSodium Glutamic Acid Syndromeなのだ。すなわち、中華料理には(ラーメンも含めて)ものすごい量の化学調味料が使われており(実際見ていると本当にすごい量を使っている)ある意味で化学調味料漬けになっている。それを人々はうまいうまいと言って食べている。
又ある老舗の高級京漬物にもものすごい量の化学調味料が入っている。一口つまむと舌がしびれるくらいだから老舗が聞いてあきれる。他の食品でも同じで、包装を裏返し、内容の項目に“調味料(アミノ酸等)”とかいてあるものはみんなあの化学調味料が入っているのである
あの漫画はそれを糾弾していた。僕も改めてそう思う。一時期化学調味料を使ったが、それ以来我が家には化学調味料は置いていないし、これからも置くつもりは全くない。

July 9, 2007

食べ物考 9,10,11.
食べ物考 9 どんな鶏がうまいのか? 1

別項とも重複するが、僕はある日を境に鶏は大嫌いになっていた。臭いのと感触(皮のところや脂肪)が特に嫌いでお肉の中でも鶏は特にだめだった。
「美味しんぼ」にも出てくるが、地飼いして適当に運動をした鶏がうまいと出てくる。まさにこの経験をしたことがある。

ニワトリ嫌いの僕がどういうわけか、ニワトリのメーカーに就職してしまった。(ニワトリのメーカーについては別項に記す)メーカー傘下の各都道府県の代理店や、特約店および一般養鶏家の健康管理や病気の予防が主たる任務である。
あるとき、ニワトリを出荷するから手伝えと言う。かなりの労働のあと、ニワトリを安く売るから何羽必要かと聞かれ、「ニワトリは好きではないのでいりません」と答えたら、唖然とした顔で、「お前、本当にうまいニワトリを食べたことがないだろう?」と言う。
詳しくは省くが、説得をされ、求めたニワトリを絞めてもらい、下宿で食べさせてもらった。
これがニワトリ?


食べ物考 10 どんな鶏がうまいのか? 2

うまいとまずいとかの差ではなく、今まで食べたお肉類のうちで一番うまいと感じた。なぜだ?どうして?

どこかで書いたかもしれないが、このニワトリは、ブロイラー系で、地飼いされた上給餌制限をされており、運動も良くしている為、肉が締まり、かつ軟らかく(水っぽいのではない)適度の脂が心地よかった。もちろん、へんな匂いなど全くなく、それまでのニワトリのお肉とは全くの別物であった。

普通、ブロイラーと言うのは、皆さん何度かニュースなどでごらんになられたかもしれないが、小さなケージの中に入れ、運動を出来ないようにして約90日育て、いわゆる若鶏として出荷されている。メーカー側としては早く大きくなり、餌もたくさん食べない鶏種が一般の養鶏家に喜ばれるので、このような鶏種の開発にしのぎを削っている。
そして、約90日で出荷されたのがわれわれの口に入るのである。若鶏?水臭いだけで味もなく美味しくない。運動もさせないでぶくぶくとただ太らせたものなんか旨い筈がありません!!

前出のニワトリさんは、地面の上で一杯運動をし、受精卵を取るため、あまり太りすぎると卵がとれなくなるので、二日に一度しか餌がもらえず、適度な大きさなので若鶏なんてものとは比べ物にならないうまみが出てくるのです。そして、出荷されるまで約500日から550日くらい飼われているのです。そんな老鶏、美味しくないと言った自分が恥ずかしい思いをしたのが忘れられません。
最高でした。


食べ物考 11 どんな鶏がうまいのか? 3

これらのことを証明するように、袋井市のあるニワトリ専門店のお肉は美味しいと言うことで評判になっているほどです。

それはそうでしょう?せまっ苦しい運動も出来ないようなところで、産めや(卵を)殖やせや(体重を)と叱咤され、ただぶくぶくと太っただけの鶏と、手を掛け大事に地面の上で500日以上も手間隙かけて育てた鶏とはまったく違う次元のお肉なのです。
残念ながら、具体的なお店の名前や場所はお教えすることが出来ませんが、そのようなお店で、うまくいい鶏に当たるとこのようなことがあると言うことです。

でも僕、今はやはり鶏肉はあまり好きではないのです。もちろん食べますが、少し匂いを消すようにして、調理して時間のたっていないもの、カリカリの食感のときは大丈夫ですが、時間のたったものやにおいの立つものは苦手です。

何とかあのニワトリを食べてみたいのもだと懐かしく思い出している今日この頃です。

July 09,2007

食べ物考 12,13,14,15,16.
食べ物考 12 USA vs JAPAN 1 浦和のストロベリーは最高に甘かった 

アメリカにいた頃、日本に行って帰ってきた米国の友人がいきなり「浦和のストロベリーは最高に甘かった」と言う。話をよく聞いてみると、東京から出張で浦和に行ったとき、たまたま食べたイチゴがすごく甘くて、こんな甘いイチゴを食べたことがなく、ものすごく感激した。とのことであった。皆さん、浦和のイチゴって有名でした??(べつにー?どうして?)
 もし、皆さんの中に、アメリカでイチゴや各種の果物など食べたことがある方は、すぐお分かりのことと思う。日本のものとは味が違うのです。ホント!!ココがキーポイントなのです。イチゴは平均的に、アメリカのものはものすごくすっぱくて、甘いのがおいしいと思っている我々にとってはあまりおいしい果物とは思えない。でも、アメリカの子供たちは、あの酸っぱいイチゴを競うようにして「美味しい、美味しい」と貪り食っている。そんな酸っぱい味に馴染んだ人が、それこそ最高に甘いイチゴを食べるとこの題のようになる。どうして浦和かと言うと、日本のイチゴを初めて食べたのが浦和だったからに他ならない。彼と日本で出掛けることがその後もあり、その地で、イチゴを食べさせてやったら、そのイチゴもうまいという。思い込みとは恐ろしいものなのです。だから、本当は浦和でなくても良かったのです。このような味の違いは、いっぱいあったように記憶している。
 かなり忘れてしまったけど思い出してみましょうか?
ピーマン---日本で今パプリカと呼ばれているのが向こうのピーマン。あのでっかいやつ。
キュウリ---向こうのは日本の二倍はあるくらい太い。瓜みたい。
大根---同じものが大根として東海岸の普通のスーパーにもあった。
りんご---アメリカのは、どのお店に行っても一個一個きれいに磨きこまれており、ピッカピッカです。日本みたいに甘いのはなかったように思う。酸っぱい系です。
ホウレンソウ---ボストンでは、全て生の段階で5cm位に切って袋に入って売っていた。本当に新鮮でないと、切り口が茶色くなって、その部分をむしるのが大仕事になります。日本では一束単位でしっぽも着いているのにえらい違いです。
メロン---マスクメロンは舌がとろけるくらいに甘く値段の高いのが日本、アメリカのはハネージュ等にしても(この頃スーパーにも増えてきた)硬くて甘くない。
ピーナッツバター---日本は加工品で、ピーナッツがどれくらい入っているのか分からない甘いジャムみたいのだけど、アメリカのスーパーなどでは目の前でピーナッツをすりおろす機械に通して100%ピーナッツだけのを売っている。


食べ物考 13 USA vs JAPAN Originalを大切に!

アメリカって考えてみると日本や中国そしてヨーロッパから見ても歴史のない国なのです。だから、よそから来たもののオリジナルを大切に守っているように思えてならない。
代表的なものとして、ボストンで食べたお豆腐のうまかったこと。アメリカ人がやっているにもかかわらず、日本の豆腐よりもうまいと感じたので、何人かの日本人に聞いてみるとやはり同じ答えであった。あるとき、豆腐屋の人に(ボストニアン)聞いてみたところ、日本のスーパーで手に入る豆腐の多くは豆乳を固めた豆乳ゼリーのようなものだといっていた。何かの本で読んだことがあるけれど、日本の豆腐は、豆乳を化学物質(グルコノラクタノドン)で固めたもので、昔のようににがり等使っていないものが増えているそうな?なぜかと言うと昔ながらの作り方だと同じ豆乳から作るのと出来る豆腐の量が何倍も違ってくるのだそうである。だから、結果的に豆の詰まっている量が違う為、大豆の味が十分に残っているボストンの豆腐屋のほうがうまいということになる。
これ以外の項目は正確には比較できないけれど、(よく知らないけど)前述のお野菜や果物にしても、たぶん、オリジナルの味がおいしいとされて、そのまま残っているのではないか?と推察する。これこそ僕の独断と偏見だけどそう思っている。
その点日本は、土地に恵まれないせいか、工夫をしておいしくそして少しでも付加価値が上がるように改良している。その差が、「浦和のイチゴが甘い」ではなかろうか?どちらがよいとは断じ切れないものの、どちらにも良い点があると思う。
日本人からすると、アメリカのものでおいしくないものの筆頭は、僕の独断と偏見では、パンだと思う。えーっ?パンは進駐軍時代(古い)アメリカから入ってきて給食のコッペパンで日本に本格的に普及したものと思われる方が多いと思うが、おいしさはいまいちだったのは僕だけではないと思う。すなわちまずかった。それがそのまま残っているのがアメリカで、改良されたのが日本と思う。比較して、一番違いが分かるのが、食パンで、普通のスーパーでは日本では切った枚数の違いくらいで、種類も殆ど一種類といってよいと思う。もちろんパンの専門店ではこの限りではない。しかし、アメリカでは、パンの種類は食パンだけでも何種類もあり、そのどれもがまずい!僕に言わせるとオリジナルを守っている。様に思う。
この逆の食文化は寿司だと思う。アメリカでは、素材が近くに又すぐに手に入らないからか、巻物にしても握りにしても現地の食材で作っておいしいものが多くある。カリフォルニアロールなどは大好物。そして、日本では「あんなの邪道」となってしまう。
食の違い、オリジナルを大切にする、考えてみるといろいろとあって面白い。



食べ物考 14 USA vs JAPAN American Taste !

今まで、アメリカではオリジナルな味を守っていると書いてきたけど、われわれ外からの文化のものが最初から味を変えて持ち込んだものも多いように思う。代表的なものが、前項のいろいろなねたの寿司であり、照り焼きソースのあの甘ったるすぎる甘さであったりする。
それと同じなのが、アメリカの中華料理と思う。中国人のあのタフさゆえ、中華は現地の中国人が作ったりしており、お店の人たちが白人であったことはただの一度もない。しかし、味はどこへ行っても同じような味付けで、僕に言わせるとなんとなく甘ったるい。などとえらそうなことを言っているけど、残念ながら僕は本場、中国や香港台湾にも行ったこともなく、本場の味も知らずに中華の味のことなど言えないことだけど、上記の様に感じてしまう。でも本当のところはインターナショナルな人に聞いてみるのが一番かもしれない。
でも、中華料理はどこに行っても食べられる料理で、値段も安く、又われわれ日本人にも多少の違和感は残っても、どこで食べても当たり外れのないお料理と思う。アメリカ駐在員時代、アメリカ国内出張などが入ると、一人で入るレストランで、まず失望しなくてすむのは中華が一番であった。日本食はお金が高い上に当たり外れが多くお茶を頼むだけで料金をとられたうえ、飲めないようなお茶が出てきたりしたことがあった。中華に戻ると、中華のレストランは、どんなに小さな町でもあったように記憶している。あるとき、アメリカ風にホテルなど予約しないでふらりと旅に出たときなど、ほんの小さな町でも中華があり、そこで食べると間違いのない味が楽しめた。一人のときなどは、チャーハンと焼きそばと何か一品を頼み、残ったものは持ち帰り(Doggy Bag 犬の餌にするので?)にしてもらうのが常であった。だって、次の朝、たった一人でレストランに行き長い時間を掛けてさびしく食べることを考えると、自分の部屋でさめていてもおいしい中華のほうが断然ましだった。又、ご承知のように、アメリカで料理を頼むと、とんでもない量が出てくるので、上記のようにしていると一石二鳥だったと思っている。
同じような味で、アメリカのタイレストランに何回か入ったときのことを思い出した。味は中華に近くやはり日本で食べるタイの味とはまったく違うし、一番大きな違いは、辛くないことだろうか?あるレストランでは味の段階が3段階に表示され、一番辛いものをさらに辛くしてくれと頼んでも、殆ど辛さを感じなかった。
やはりこれもアメリカンテイストなんだな!と感じていた。



食べ物考 15 USA vs JAPAN パスタ

同じく、今度はイタ飯だと総じて、パスタはゆですぎていることのほうが圧倒的に多いと思う。ボストンではリトルイタリーがあり、この町で食べるパスタは、しっかりと腰が残っていて我々になじみが深い硬さであった。
あるとき、職場近くのパスタのお店に入り、イタリア人のシェフなのに出てきたスパゲッティーは日本の場末のレストランが昼にゆでたのを夜に出したようなまずいものだった。がっかりすることこの上ない。
上記のイタリア人街でのレストランでは、硬さはよかったものの、オリーブオイルの使用量が半端ではなく最後のほうは辟易としてくるようなものも多かった。まあ、これは僕がダイエットに関心があるからで、日ごろ油を多く摂らないからかもしれないので、割り引いて読んで頂きたい。


食べ物考 16 USA vs JAPAN Volume

初めての海外旅行は、ハワイ経由サンフランシスコそしてボストンであった。英語もそこそこしか出来ないのに期待と不安でかの地に降りたのを覚えている。(詳しくは別な所で書きたいと思う。)ハワイで何をどう食べたか?は全く覚えていないものの、サンフランシスコのホテルに夜遅く到着し、レストランに行くのも億劫でルームサービスを頼んだときのことである。いろいろのメニューの中から、サンドイッチを二つとミルクを頼んだ。なぜサンドイッチを二つも?と思われるかもしれないが、当時はまだダイエットなどしていなかったので、日本のサンドイッチの量だとこの夜中、おなかが余計にすいてしまうと思い二つにしたのである。メニューから、クラブサンドイッチとローストビーフサンドイッチにした。クラブは、カニカニさんだと思っていたのにルームサービスが届いたものを見るとなんかお野菜とベーコンが乗っただけで、カニカニさんなんかどこにも入っていなかった。(後で知ったことだけど、これをクラブサンドイッチと言う)間違えて持ってきたのか?とも思いもしたものの、電話でしかも英語で文句をつけられるべくもなく、おとなしく食べることにしたものの、そのひとつ一つのボリュームには圧倒されてしまった。おなかが減るから二つ頼んだのに、一つも全部食べきれないくらいの量で、これ以降、アメリカのレストランで頼むときにいつも失敗するのが一品ごとのボリューム(量)のことだった。僕は食べ物に対し根が卑しいものだから、これ食べたい、こっちもうまそうだ----等と何種類も頼むと必ず失敗する。
なぜあれほどまでに多くしないといけないのか?不思議でならない。周りの人を見ても、多くのご婦人たちも食べきれずに残しているではないか?怒!
量の多さはアメリカで食べる日本食も同じで、握り一人前が20貫位入っているときもざらにある。又、ラーメンを頼むと、日本での2食分ではないかと思うことすらあった。
日本だと小盛や並そして大盛の区別をしているではないか?ぶくぶく太った大食漢に合わせているのだろうか?資源の無駄遣いもここにきわまれりである。僕なんか、残すともったいないと叱られながら育ったから、余計にもったいないと思う。アメリカでも同じような論議があると聞いているものの、いまだに量の多さは変わらないようである。

July 9, 2007

食べ物考 17,18,19,20,21,22.
食べ物考 17 USA vs JAPAN Restaurant 1

どなたかアメリカで一流ホテルのレストランに入り、お一人で食事を(特に夕食を)おとりになられたことがありますか?
大体アメリカって一人では超つまらない様に出来ていると思うんです。
少し前だと、入り口の案内人にSmoking? or None Smoking?と聞かれ、席に案内される。つぎ、席に案内されるとウエイター(もしくはウエイトレス)の人がにこやかにやってきて、ご機嫌いかが?お食事の前に何かお飲みになりますか?と飲み物の注文をとり、メニューを置いていく。レストランによってはその日のお勧めみたいなのをとうとうと喋るところもあった。出てくるまでに結構時間がかかり、その間に決めて置かないと又待たされるので、分かりもしないメニューを必死で読む。どうしてもわからないときは彼らに聞くが、大体お魚か?お肉にしておけば良い。特にお肉にしておけば、焼き方を聞かれるだけですむ。(でも最初の頃は焼き方を聞かれているとは分からず、ミディアム?レア?と聞かれて始めて分かる)大体品定めが終わった頃にビールかワインを持ってきてくれるから、オーダーすればよい。何を頼んだか?によってつぎ出てくるまでの時間は変わるが、全て出揃うまでに10ないし30分(もしくはそれ以上もざら)はかかるものと心得よ。もし、最初に頼んだアルコールが少なくなっていれば、ここで頼めばよい。
さて、自分の頼んだものが当たりかはずれか?は別にして、一人だし、大体アメリカの高級レストランて言うのは部屋が暗すぎて、時間稼ぎのための本も読めやしない。ただ黙々と食べるのみ。おいしいものでもおいしくない。そうこうしている内に、又ウエイターがやってきて、今日のお食事はどうでしたか?食後にデザートかコーヒーはいかが?と言う。僕は当時はコーヒーも甘いものも好きではなかったのでTea with Milk, Please.(ミルクティーと言っても通じない)と頼む。そしてようやくお紅茶が出てきて、一大イベントが終わり請求書をくれと言うことになる。この間、たった一人で黙々と飲み且つ食い、一時間半から2時間近くのコースなのである。出張のたびに一人の食事がいやになる。そうなると簡単に中華や、日本食なら選びやすいし、うまく行けば日本語で用が足せてしまう。
とにかく一人レストランほどおいしくないものはない。特にアメリカでは。



食べ物考 18 USA vs JAPAN Restaurant 2

いつも行くハワイは勝手気まま旅行で、関空から一番早く着く飛行機で飛び、朝早く着くや否や、地元のスーパーやドラッグストアーに入り一年分の必要な品を買いあさることから始まる。大体行くコースが決まっており、一日目はこの後ワイケレのアウトレットに行き、そこで昼食をとる。ワイケレを出るとアラモアナに寄り、一通りウインドウショッピングを楽しむ。
エーと、レストランのお話でしたね?今年(2007)行ってレストランに入って、「うん!おかしい」と思うことが何回かあった。何かと言うと、アメリカのレストランでは、支払いのときにサービスがどうであったかの意味で「チップ」を計算することになる。僕はもうこのシステムに慣れているので、いくつかの支払い方法のバージョン(カードでの決済とか、現金だとか、一緒に払うとか?がいろいろありますの)を心得ているつもりである。
 さて、今回朝食に入ったところで勘定書きを頼み、チップの計算をし始めたら、隣から女房が、「おとーさん、これサービス料入ってへん?」と言う。あほ、日本のホテルじゃあるまいし----よく見たら15%もチャージされていました。それもあらかじめ計算の上で入っていました!今まで、こんなこと初めてだったのでびっくり仰天。
まあ、「ココは安いところだし日本人が払わないのが多いからこの様にしたんだよ」と言いながらなんとなくしっくりしないものを感じていた。翌朝の食事も同じところでとると、やはり周りの現地の人も払っていないように見受けられ、システムが変わったのかな?と思い請求書を頼んだら、今度はきちんと、「サービス料15%込み」との赤いはんこが押してあった。
 帰る前の日の夜、ちょっといいレストランに行くか?と言うことになり、近くの高級ホテルのバイキングに出掛けることにした。我々のいるホテル(安宿)近くのバイキングと違い、さすがに味も種類も豊富で洗練されており、おいしくたくさんいただいた。このときの請求書にも、同じく15%のサービス料込みと書いてあった。僕の常識では「これは二重の意味でおかしい」と思う。まず第一にバイキングではサービスをしない!従ってチップを支払う必要はない。そして、二つ目は、それでもホテルだから支払えと言うのなら、バイキングで15%は多すぎると思う。だってサービスなんかしないんだから、払う必要なんて無い筈なのに、ちゃっかりとチャージしているのはもってのほかである。
もちろんこれが、正式な(?)レストランなら日本人は最初からサービス料をチャージされても致し方ない面があるかもしれないが、(日本人に払わない人が多いと言う事情は分かる)そのサービスの良し悪しによってチップを弾むものでなければウエイター/ウエイトレスのモラルは低下し、サービスをしなくてもチップをふんだくれる日本人はろくなサービスを受けられないことになってしまう。と僕は思う。だから、前項のように彼らは何度も何度も御用聞きに来て、ある意味ご機嫌取りをしているではないですか?それが、一律に何もしなくても同じチップなら何もしないほうが仕事が楽に決まっているじゃーないですか?そう思いません?そういう目で見ていると、最後の入った一流ホテルのレストランの受付嬢などはニコリともせず、最悪であった。

そういえば、女房が言っていました「この頃アメリカのどの店に入っても店員同士話ばかりしていて、おかしい!感じは悪いしサービスが悪い!」と!



食べ物考 19 USA vs JAPAN Restaurant 3

昨年(2006)たまの連休に四国の金比羅山に始めて出掛けて行った。女房が長い人生の中でまだ四国の地に足を踏み入れたことがないというので、あちらこちらと探した挙句、温泉と観光地のある所でなるべく近くをと金比羅山を選んだ。膝の悪い僕には階段は苦手だったのだけど何とか真ん中の本宮までは歩いて行ったんです。
 レストランのお話でしたね。先ほどのチップで思い出したのが、旅館での心づけのことです。もう殆どの旅館でも食事の部屋出し等せず、大広間や食堂で済まされてしまうことが多く、心づけも渡すことが少なくなったとは聞いていた。たまたまこの旅館は(ホテルは)夕食は部屋出しだったのと、まあ、感じのよい仲居さんだったのでほんの少しだけど心づけを紙に包んであげたんです。
 そうすると、このところは殆どこんなことが無い様で、ありがたく感謝をされて受け取ってもらった。そして翌朝の朝食時でも、昨日はありがとうございましたとのご挨拶、こっちがびっくりしてしまうくらいであった。
かように、サービスに対しての対価が日本でも残っているし、サービスをしなければ給料に反映されるアメリカでも一律に徴収してしまうとサービスの低下に繋がりかねないことが出てくるとの好事例でした。



食べ物考 20 USA vs JAPAN オーダー 

レストランに入って必ずしなければならないことに、オーダー(注文)がある。海外に出始めた頃、だれかれかと連れ立っているときはそのパーティーの中でわかっている人に教えてもらえばよかったが、一人のときや、出張での移動中など現地の人も誰もいないときは本当に「オーダー」で苦しんでしまう。
たとえば、簡単なサンドイッチで済ませようとして、カウンターに行く、と、まずパンは何にしますか?ときかれる。えっ?パン?そんなもんどんな種類があるか知らんわ!日本だとこんなこと聞かれへんのになー!ど、どうしよう?エーとそれ!と白いのを指差す。次ぎ、何を入れますか?と聞かれる。ツナが良いな!Tuna Please.お野菜はどうしますか?エー、ツナサンドに野菜なんか入れたっけ?ようわからん。飲みのものは?ダイエットコーク!え、コーラは置いてないって?ペプシならあります。どっちでも一緒やんけ、はよそう言え!ふー、え?なに大きさ、なんの?コップか?喉が渇いてるから、L 頂戴。
ようやく出てきました。 仰天?俺こんなバケツみたいなコーラ飲まれへんで?サンドイッチもこんなに大きいんか?
今ではこんなことはありませんが、最初の頃は本当に苦労したんです。日頃、日本人を相手にしていない店員さんや、地方ではゆっくりと優しくなど喋ってくれないから、苦労することおびただしい。
今では、どんなレストランでももう流れが十分に分かっているのでどうってことはないけど、始めの頃はこれらが大苦労であった。
だから、オーダーの楽なマックや、中華、日本食などになるのです。日本だと写真を見れば(メニューの)簡単に選べるのに?不親切!!と思いませんか?



食べ物考 21 USA vs JAPAN 食べるのに困ったら 

アメリカでの一人で食べるレストランについて何度も困ったと言うことを書いたが、もし洋食が本当にいやになったときは、中華料理にすることをお勧めする。量が多いと書いたが、中華でも同じなのだがひとつ妙案があり、余ったら(必ず余らせる)Doggy Bagにしてくれと頼めばよい。
まず、アメリカの中華であっても中華は中華、日本人の舌には、変なわらじ(大きなと言う意味)ステーキよりはお腹に合う。オーダーするのも分かりやすいし値段もはるかに安いことが多い。本当は日本食だと普通日本人がいるし日本語を喋ることが出来てほっとすることが多いもののあまりにも高すぎる。で、僕はよく、一番高いフライドライスとヌードルを頼みそのほかに気分によって一品料理を一つか二つ頼むことにしていた。要はチャーハンと焼きそばおよび一品料理ということです、もちろんアメリカのレストランですから、量は多く絶対に食べ切れません。で、残ったらDoggy Bagにしてくれと頼む!いやな顔ひとつしないでやってくれますよ!そして、これを翌朝、朝ごはんとして食べるのです。いちいち着替えてレストランまで行き、卵二つの目玉焼き、そうそう裏返してね!それとハム、ジュースはオレンジジュース、あとは-----なんてやってるよりは絶対にお勧めです。
それに中華は僕の行った街では必ずどんな小さな街でも有りました。あるときなど、カナダの本当に田舎町で、予約もしていなかったホテルに入り、何を食べようか?と迷っていたら、そんな街にも中華があり、家内と娘がいたものの、前述のようなことと相成り、美味しい夕食と朝食にありつけたのでした。
この数年間神戸に戻ってからもハワイにだけは行くことにしているが、ハワイでは何でもあるし、スーパーにも寿司なども売っており、かえって洋食や、現地食を食べたくなってくる。フードパントリー横のバイキングレストランは最初の頃はアメリカの人たちが断然多く、日本人はこんな安いレストランには来なかったが、この頃は多くの日本人を見かけるようになって来た。安くて食事の質はそこそこだけど種類も多くなんでも食べられるのがよい。アルコール類は置いていないので、隣のフードパントリーやABCストアで買っていけばよい。持込が可なのがありがたい。でも、このときは一人1ドルで良いから、片付けのお兄ちゃんにチップを置くようにしている。これぞ心づけ!



食べ物考 22 USA vs JAPAN 日本食は高すぎる 

今まで、「安くてうまい日本食レストラン」に当たったことがない。(ハワイを除く)一番ひどいと思ったのは、プエルトリコのレストランで、こんなところにも日本食屋があるのか?と感心させられてしまう。でも、考えてみれば、プエルトリコには、日本の企業がかなり進出していて、松下やその他の一流企業が行っているらしい。だから日本食があってもおかしくないのだが、そのお店はオールドサンファン(旧市街)にあり、治安のことも有ってタクシーを呼んで出掛けることになった。出てきた食事の最悪であったこと、もう思い出したくもないくらいで、半分腐りかけた寿司、一品料理もおよそ日本食と言うには恥ずかしいくらいで、僕が作ったほうがはるかにましだと思うようなものばかりであった。極めつけは、お茶頂戴と出てきたお茶で、出がらしにお砂糖が入った代物で、しかも、コーラなどよりはるかに高い料金がついてきた。
又、高いと言う記憶では、ワシントンの全日空ホテルでの朝の和定食が30ドルくらい(チップ込みで)したことだろうか?その頃は何年かアメリカで暮らしていたので、だいぶアメリカ人的な金銭感覚であったが、ワシントンに出張の時たまたま全日空ホテルに泊まった。そのときの朝食に頼んだのが和定食で、確か23ドルにいろいろついて上記のような価格になってしまった。30ドルと言えば現地の人なら何人もで安い夕食が取れるし、朝食だけでこれではあまりにも高すぎる。日本の一流ホテルでの和朝食もそれ位するでしょう?との反論も有るかもしれないが、常識的だとは思わない。
もちろん、美味しいところも多いです。たとえば、瀬古選手がボストンマラソンで優勝したときにパーティーをやった「源氏」などはボストンの日本食の草分けで、マグロなんか最高だった様に記憶している。残念ながら、此処のサービスが最低で、一緒に言った日本人がブンむくれてしまい、とうとう、チップを払わずじまいで店を出てきてしまった。
そうそう、総じてボストンのマグロはうまいんですよ!知ってます?ボストンに日本通運の支店があるのですが、最初の目的はボストン近郊より新鮮な本マグロを日本に空輸する為に作ったとまで言われています。ボストン近海はまぐろの好漁場で大きなのがかかったと知らせが入ると買い付け業者と日通が飛んでいきその日のうちに日本に空輸してしまうシステムが出来ているのです。でも、傷ついたものは現地のレストランに出ることになり、もちろん本マグロですから当然美味しいのです。ボストンでは日本食はお勧めです。
ハワイの日本食はある意味で、日本と全く変わらないと思う。何でもあるし、値段もそこそこだし、現地人しか行かないようなスーパーでも寿司が置いてあったりする。又そんなスーパーのお寿司ほうが美味しいのだから面白い。反対に日本人がよく行くようなフードパントリー内の日本食のお弁当はまずくて味がない。
ひとつこれを書きながら思い出したのが、20年近く前に入ったニューヨークでのレストランで、エンパイアステートビルの横にあった
、店の雰囲気やシステムをマクドナルドの日本食版ニューヨーク編といった雰囲気で、経営は韓国人だったと思う。日本語は通じず、味はひどかったが、ボリュームとシステムが面白く、最近日本でも多くなった、フードコートの日本食版であった。メニューは全く思い出せないが、日本食に飢えた時には飛び込める。今あるかどうか?はわからないが、エンパイアステートビルに行かれることがあったら、道を隔てた向かいにある店を覗いてみて下さい。


July 9, 2007

続 ダイエットは簡単だ 1.2.3.4.
「ダイエットは簡単だ」の続編です。

続:ダイエットは簡単だ 1  経過報告 1

ダイエットは簡単だと称してご報告して以来、約一年が経つ。その経過をご報告しておこう。
以前書いたように、前回のダイエットは六甲道のセントラルフィットネスクラブに入って泳いでやせたが、肩甲骨と上腕骨の関節に不具合があり、肩を回すたびに疼痛があり(クロールが泳げない)、整形外科にてあまり水泳はやらないほうが良いと宣言されてしまった。このときは99kg.から73kg.まで多分六ヶ月位でやせていたと思う。つまりダイエットのやりすぎなのである。動物や、人間の体にはすごい巧みなシステムが組み込まれており、急激な食事制限や栄養の変化に適応するように細胞レベルで防衛をするシステムが組み込まれている。すなわち、体内防衛軍の出番で、今まで多くのカロリーで必要なエネルギーを生み出していたものが、少しのエネルギーでもまかなえるシステムに変更するのである。それまでは、少しはカロリーを控えていたが、糖尿病の治療食から比べるとかなりのカロリーを接種していた。又、運動をやめたのが12月で、一年で最もいろいろな行事でカロリーを接種する季節が控えていた。自分では少しは食事によるカロリー接種を控えていた(つもりだった)が、所詮消費エネルギーは以前とは比べものにならないくらいに低かった。その結果、73 kgまで落としていた体重がいつの間にか90kg.を超えんとする勢いになっており、この先の行く末が案じられるようになって来てしまった。(2006年5月)でも90`を超えないからいいか?とたかをくくっていた。こんな体重の変化する僕を見てある人に「先生は風船みたいだなぁー」「脹らんだり縮んだり?」と言われてしまった。
元凶は分かっていた。運動もしないのに、抑え気味と称しながらも結構なカロリーをとっていたのだ。対策その一として、カロリーは結構コントロールしていると思っていたので、運動さえすれば痩せられる。だから、運動をすればよいのであると結論し、通勤(僕でもそう言うのかな?)に車を使っていたが、一日二回の歩きによる通勤に変更した。この時点で、前回ご報告した「ダイエットを始めました」になっている。(2006年6月)
それから体重表をつけ始めたものの、記録を見てみると、6月から12月まで89kg.から87kg.までの間を上下しているだけで、殆どなんらの効果は見られなかった。しかも車に乗って通勤しない為にも、往診用の車を(ヴィツ)一台購入し、病院近くの駐車場に置くようにまでしていた。でも楽観視し、そのうち痩せ始めるさ?と思い込んでいた。2007年一月もそんな状態だったとき、ふとしたことから、有効期限の切れそうな尿検査のスティック(試薬)があったので、自分の尿で検査してみることにした。かなりの糖が検出され、これは一大事‐‐‐‐‐‐!!
僕、糖尿病だぁー?




続:ダイエットは簡単だ 2  経過報告 2

詳しい日にちは忘れたものの、ある意味大ショックを受け、早速次ぎの日食事抜きで病院に来て、採血、検査センターに送ると同時に当院でも検査したところ、残念ながら、糖尿病の入り口で、血糖値は150台であった。さて、どうしようか?どこの医者に通えばいいんだ?
迷ったものの新神戸近くの医院に行ったが、しっくりせず、結局近くの神鋼病院で血液検査をしていたので、そちらにお世話になることにした。医者の立場からすると、多分「大したことはない!もっとひどい人が沢山いる!でも糖尿病の入り口から入り込んだのは事実。」と言うことだと思う。先生曰く「ヘモグロビンA1c(以下HbA1c)が6.6なので、やはり糖尿病の入り口で、6以上を糖尿病としています。でもこの程度だと、インスリンの注射やインスリンの出を良くする薬等はいらないだろうから、運動と食事でやってみましょう」という事になった。又、担当の先生は、消化器のご専門であったが、「糖尿病専門医のほうは予約が4ないし5ヶ月先でないと取れないので、私でよければ定期的に来て頂いて、診て行きましょうか?」と言って下さったので、お願いし、僕の本格的なダイエットが再開したのである。しかし、糖尿病と診断されたときは、その恐ろしさを実感しているので、ショックだった。だからまじめにダイエットに取り組み始めた。
まずは、一日のカロリーを1200㎉に近づける努力、お腹がへるので野菜を沢山食べる、外食やお弁当などの買い食いを控える、毎日血糖値、食事のカロリー摂取量および体重を表に記入していく。ことを始めた。
やり始めたとき(2006/2月1日)の各々の数字は、血糖値−158、体重−89.0kg.、で食事もその日からはじめ20単位の摂取量だった。(カロリーの表現は一応ここでは単位という表記で行う、1単位は80㎉で、20単位とは20単位×80㎉=1600㎉となる)
で、どうなったの?と言うことなのだが、次回の検診日3月22日は
血糖値−102、体重−83.9kg.、19単位だった。そしてこれをもって意気揚々と先生と話していたら、「痩せ過ぎです!!」と一言!!えっ?良くやったと言ってもらえるかと思ったら、「あまり急激な減量はリバウンドの原因となるので、一ヶ月1kg.位のスピードにしましょう。もう少し食べてください。」だって?でもー、と思いつつも、少しペースダウンをしてゆっくりゆっくりとやることにし、カロリーを少し多めにとるようにした。その次ぎの検診日は5月17日であった。各々の値は血糖値−107、体重−79.0kg.、29単位で、前回よりも一見悪いようであるが、HbA1cのレベルで見ると5.6で、完全な正常域にまで下がっていた。
どうだい!やればできるだろう!今もつけている毎日の血糖値も殆どが二桁で、100台が出ても110を超えることはなくなった。おそらく、HbA1cももっと下がっていることと思う。体重は今日(2007/6月30日)で77.2kg.なので、順調なペースに落ち着き始めている。
おっと、5月17日のところの食事が29単位になっている。これは、どこかでも書いたが、今の僕の楽しみは食べることのみなので、一週間に一回だけ食事の羽目をはずして、野菜主体でも食べられる外食に行くことにしているんです。でどんなところに行くか?と言うと、全て腹いっぱい食べられるバイキング(食べ放題)なのだが、大丸10階の里山、ハーバーランドの二軒のバイキングなどによく行く。特にハーバーランドは、今住んでいる所が摩耶ケーブルの近くなので、そこから、新神戸を経て北野そして元町からハーバーランドまでと、約1時間30分から2時間近くを歩いて行くことにしている。
ところで、先生、具体的にはどうして痩せたの?



続:ダイエットは簡単だ 3  経過報告 3

具体的に何をしたのか?を書いていなかった。
前項で、歩くこと主体の体制を作っていたと書いた。すなわち、緊急の往診等にも備え、自宅と病院の近くに一台ずつの車を置いた。一台は今まで使っていたので、もう一台は、安い軽を買おうとしたが、高かったので、一番安いヴィッツにし、車で病院まで通えないようにしていた。それまでは、買い物が重いだとか。遅くなったとか、暑いだとか、寒いだとか言ってはタクシーに乗ったりもしていた。まずそのようなことをしないようにして、「歩くことがお薬」と自分に言い聞かせ、歩けるときは必ず歩くようにした。病院までは下りで約20分弱、そして帰りはかなりの登り(病院から摩耶ケーブルまで)を約25分、往診も手術もない日は食事がてら昼も帰るようにしていたので、一日2往復を日課にした。最低でも一往復を「お薬、お薬」と心がけて実行していった。
もうひとつ、食べるほうは、判定(病院に行く)前とはガラッと一変して、野菜中心に置き換え、ダイエットの友である大根やもやしなどのカロリーが少なくボリュームのあるお野菜を中心に、焼いたり煮たりしてウサギさんに徹するようにした。もちろん買い食いや外食は極力避け、スシローに行ってもシャリの半分は残し、魚の赤出汁なども頼んで、量を極力抑えるようにした。もちろん、ラーメンなどはダイエットの敵なので、ここ何ヶ月も食べたことがない。てんぷらも2月以来たったの一回しかしていない。では、どんなものを食べてるの?このところ生のお野菜を食べるのに、キムチなどを少しつまんで生野菜を食べると食べやすいと感じるし、ある雑誌に、サラダのドレッシング代わりに塩昆布も良いと載っていた。うん、結構いけます。お肉の代わりにシーフードミックスでチンゲンツァイやもやしといためても美味しいし‐‐いろいろと工夫のしがいがありますの。
朝は自家製(僕の作った)のベーグルに野菜やハムソーセージおよびピクルス(これは欠かせない)をはさんで約5単位(5×80=400㎉)、でしょ、昼は、お野菜一杯の炊き込みご飯2単位とトマトやお魚など及び味噌汁で合計6単位、夜は、今のところ夜には炭水化物は取らないようにしているんです。お昼の残りの味噌汁と焼き魚や煮込み野菜などお昼に作っていたものを魚にして飲むか?諦めて休肝日か?にしている。夜も大体6単位くらいなので合計一日のカロリーは17から18単位ではないかな?18単位で18×80=1440㎉なので、運動もきちんとしていれば、普通はゆっくりとやせて来るはずです。だから、今も毎日の変動は結構あるものの、傾向としては徐々に(一ヶ月1ないし2kg)体重も減ってきている。又今は暑い盛りなので、汗も一杯かくので減量にはもってこいの季節と言えるかもしれない。(2007/6月30日)
昨日は休肝日で飲めなかったけど、今日明日は飲めるので、これからが楽しみで、早く時間がたたないか?とそんなことばかりを考えているから皆さん(患者さんが)来ないのかなぁー?

とまあーこんなことをしていればゆっくりと負担なく痩せられるということです。

でも理想的なBMI値まで下げるとすれば、あと10`も下げなければならないなんて、絶対に行き過ぎだと思う。でも、僕、国際的な糖尿病の機関が最近定めた日本人男性のメタボリックシンドロームの指数(腹囲90cm.以下、血糖値110以下、血圧も正常域、TG150、HDL40)全てがこれで正常域に入りましたよ!!どうですか、皆さんもやってみませんか?ご一緒に?



続:ダイエットは簡単だ 4  これから 1

「ダイエットは簡単だ」の所でも書いたけど、本当はこれからが一番大変なのです。

目標としては、体重を73‐75kgの間を行き来するくらいにコントロールしたいんです。血糖値の具体的な目標はないのだけど、まあ、二桁をキープすると言うことかな?そのために、カロリーコントロールを時に強く時に緩やかに出来れば最高かな?

でもね、続けるのって大変よぉー!今までの失敗は、ただ痩せるだけだったけど、今度は、糖尿病が絡むから、真剣にならざるを得ない。次回の検診日が9月なので、その頃までに75kgにはしたいなぁー。

最近読んだ本によると、BMI値が24で、お酒を適量たしなみ、よく運動をし、さらに低GI値の食事を取っている人が一番長生きしているそうです。(ちなみに僕の場合、体重が74 kgだとBMIは24.1なので、理想的な範囲となる)

GI値とはご存知の方も多いかもしれないが、少しだけ解説してみよう。GI値というのはブドウ糖を吸収する速度を100とした場合、その食品がどれくらい早く吸収され、糖に変わりやすいか?と言う値である。(ただし、この頃はブドウ糖を100とせず、白い食パンを100とするという方向になりつつある-----なぜならこの方が比較としては分かりやすいからである)
すなわち、この値が高い食品は、食べてすぐに体内で糖に変わるので、血糖値が上がりやすく、反対に低いものはゆっくりと血糖値が上がると言うことになる。これは吸収が良いということにもつながり、パンだと腹持ちしないが、ご飯だと腹持ちが良いと言うことにもつながっている。ただそのことだけでダイエットするのもどうかと思うが、GI値の低い食品はよく見て見ると、健康に良いと言われている食品が多く、日本人が昔から食べてきた食品が多い。具体的な各食品の数値に関しては検索で探していただきたい。
(GI値=グルコサミック指数)

July 9, 2007

料理が好き 1-2
料理が好き? 1 おちんちんをつけてきた?

小学校に行く前から、お袋は何かと僕をさまざまな用事に使っていた(様に記憶している)。兄弟は上に兄貴がいるのに、なぜか僕だけが用事を言いつかっていたとしか覚えていない。冷蔵庫用の氷(昔は冷蔵庫は氷で冷やしていた、電気が前に着くのはまだまだ先のことである)を買いに行かされるのも僕、煮炊き用の木炭(都市ガスなんて小学校のときまでなかった?)を買いに行くのも僕、その他すべて僕であった。

ちょっと脱線:つい最近、近くに住むいとこが来た。彼女曰く、おばさん(僕の母親)はお兄さんばかりかわいがっていて僕がかわいそうだと、おばさんに文句をつけたこともあるのよ!と教えてくれた。母にしてみると、出来のいい上の子はかわいいが、下の僕はいたずらばかりで出来も悪いししょうがない!だったと思う。

「どうして僕ばっかりなんだ?」といつも文句を言っていたが、そんな時お袋は必ずこういっていた。「あんたがお腹の中にいるときにおちんちんをつけてきたからでしょう!私は置いて来なさいと言ってたのに!!」上が男の子だったおふくろにとって二人目はどうしても女がほしかったのに僕が男だったので心中かなりがっかりしたのであろう。もちろん男の子として育てられ、女装などさせられたことはないが、手伝いだけは上記のごとく良くやらされた。そんな良くやらされた手伝いのひとつがお料理で、ジャガイモの皮むきや、野菜の下ごしらえ、インゲン豆のすじとり、ソラマメの皮むき、枝豆むしりなどなど数え切れない。もちろん悪戯盛りの男の子なのであっこっちと遊びで飛び回っていたが、家でつかまると手伝いであった。だから今、台所に立っていても、僕自身にとってはごくごく自然なことなのである。“男子厨房に入らず”などさらさら思わない。
開業獣医になった今、女房も会計や、動物さんの世話などいっしょに働いているが、食事を作ることはどうやら僕の仕事になっている。一週間七日の朝昼夜合計21食のうち、20.5食くらいまでは僕が作る。変わった夫婦である。
でも僕は台所で楽しんでいるのである。おちんちんをつけてきたのだからしょうがない。



料理が好き? 2 お得意の料理は?

お得意の料理は?ときかれても、残念ながらこれといったものは何も出来ない。なぜなら、お袋から教わったり、女房から教わるのは家庭料理だからで、特別なものを作るわけではないからだ。だから僕の作るのは野菜の煮物や、魚の煮付け、ハンバーグそして各種炒め物などである。日々食べるものを、そして子供達や女房の好きなものを作り、楽しんでもらう、これがまたやめられない。外食をしたり、出張などで珍しい料理を食べたときなどは、家族に食べさせたくて、良くまねをして造ったりもした。でも、本当に手軽で美味しいものしか我が家(僕)では定着しなかったようだ。
親父が姫路の農家出身だったせいか、野菜の煮物や煮魚が小さい時から多かったと思う。特に親父は毎食、魚が無いとだめな人で、特に煮魚、焼き魚であった。多くの人の大好きな刺身はどちらかと言うと嫌いで、あまり食卓に上ったことはない。残念ながら、僕はこの親父の味を引き継いだようで、刺身は全くうまいとは思わないが、煮魚や焼き魚になると俄然大好物になってしまう。野菜の煮物も同じくで、どちらかと言うとハイカラなものは苦手で我が家では僕はあまり食べない。
と言う事で、田舎料理や普通の家庭料理を得意としている。と言うよりもそれしか出来ないのである。
February 19,2007

料理が好き 3-4
料理が好き? 3 パスタマシン フィットチーネ

二回目にアメリカに出張したとき、僕の相手をしてくれた人物がイタリア人であった。だからと言うわけではないが、その時はイタリア製のパスタマシンを自分の御土産に買ってきてしまった。確か100ドルくらいしたように記憶している。当時のレートからすると日本では二万円以上したはずである。
買うことを決めると、イタリア人の彼はお母さんに作り方の極意(?)等を聞いてくれ、教えてくれた。それによると、小麦粉にオリーブオイルを入れ、溶かすのは絶対に水を使わず、卵のみでやわらかさを調整しろとのことであった。(ちなみに固さは自分でやってみると少し固めの方が後々処理がうまく行く)うちに帰って何回かやっているうちに、僕の作る自家製パスタが子供達には大好評で、あるときまでは自慢料理の一つであった。あるときまでの過去形になっているのは、子供たちが出て行ってしまうと何とも張り合いが無く作らなくなってしまったからである。
こんなこと書いていると作りたくなってくるが、試行錯誤の上で落ち着いたのは、フィットチーネで、例のきしめんみたいな薄いパスタを少し厚めに作り、スーパーで買ってきたシーフードミックスとあわせて作るシーフードパスタである。これは今でも唾がでるほど失敗がなくうまいものが作れる。このときのコツはパセリとタマネギをたくさんと、パスタに絡ませるスープを多めにしておくことくらいで、いつもうまいものが出来る。
パスタマシンには、色んなアダプターがあり、フィットチーネもその一つであるが、より細いラーメンみたいなものもやってみたがやはりうまく切れない。極めつけは、スパゲッティのアダプターで、何度トライしてもうまく例の切断面が円形の麺にはならなかった。そんな訳でフィットチーネに落ち着いたのである。

つい最近、今使っているパスタマシンが電動になっているものが出てきた。手回しで作っていたものが便利な世の中になってきた。



料理が好き? 4 パスタマシン そばやうどん

アメリカで買ってきたイタリア製のパスタマシンはパスタのみならず、そばやうどんにももちろん応用できる。
あるとき、スーパーでそば粉100%なるものが売っていたので、そばに挑戦することにした。その時は挑戦などと思わなかったが、軽く考えて粉を練り、まとめた後、時間を少しおいて馴らしてからパスタマシンで延ばしてゆく。ところがどうもぱさついてうまく伸びてくれない、それを何とか麺状態に作り上げ、これからゆで始めるのである。問題は、この、ゆで始めてから起こった。多めの沸騰しているお湯にそばを入れたところ、麺状態のそばが2ないし3センチくらいにちりぢりの切れ切れになってしまった。お箸で混ぜようとするとさらに細かくなってしまう。これにはどうしようもなく、親父の面目丸つぶれであった。仕方なく細かく切れたそばをざるにあげ、細かくなったものをさらに油で揚げてそばチップスの出来上がりである。これで何とか子供達には面目を保てたものの、金輪際素人が手を出そうとは思わなかった。世の中に二八蕎麦だとかいうのがあるのは、このまとめ易さとのど越しのためであることに気づいたのは、このはるか後のことであった。
うどんにも挑戦してみたが、やはりあまりうまくいった記憶がない。そういった意味ではやはり、パスタマシンはパスタマシンなのかもしれない。今思うと、やり方がいっぱいあったのだろうけれど、手打ちはやはり手で切った方がうまいに違いないと気づく。遅かりしであった。
February 19, 2007

料理が好き 5-6
料理が好き? 5 ニューパスタマシン

ニューパスタマシンと言うことでもないが、アメリカに単身赴任していた頃、自分で作るパスタが食べたくなり、パスタマシンを物色していた。ボストン近郊にはLicheMere(リッチメァー)と言う電気の量販店があり、折り込み広告で、色んなキットが使えるキッチンエイドと言う、泡立て器などのキットが安く売っていた。早速、パスタのキットも買い揃え、当時日本では見かけたことのないデュラムセモリナ粉100%でパスタに挑戦してみる事にした。
粉を混ぜているときから、すごく硬く、取り扱いにくい素材であったが、何とか練り上げ、マシンに通そうとした。キッチンエイドのキットは一言で言うと、ひき肉を作る器械の押し出すところにさまざまな“型”を取り付けて作るタイプで、上から押し込み横から麺が出てくる。
ところが、いくら押し込んでも押し込んでも麺になってでてこない。少しやわらかくしても同じことで、これが又良くなく、とうとう麺作りをあきらめてしまった。問題は、ここから始まるのである。何かと言うと、麺作りキットは前述のごとくひき肉を作るようなものなので、送り棒やら色々なパーツから構成されていた。当然絡んだ麺の元“ドウ”(練ったもの)をきれいにしなければならないが、練ったものがこれらすべての部分に粘りついており、硬く噛んだチューインガムがこびりついているよりもたちが悪かった。お湯につけようが全くだめで、とうとう竹串かなんかで根気よく何日もかけて穿り出すしかなかった。この後二度とこのマシーンで作る気にはなれなかった。そしてデュラムセモリナ粉もお蔵入りしてしまった。どなたかうまく作れる方法をご存じないものか?
もう一つこのキッチンエイドでやりたいことがソーセージ作りである。やろうやろうと何年も思いながら、羊腸の手配からシーズニングの入手までとなかなか腰が上がらない。もう少し暇になるまでは無理かなぁー?



料理が好き? 6 御道具

料理に凝る人は道具にもこる人が多いと聞く。タレントのグッチなんとかさんは自分の銘の入った包丁を持っているという。僕はそこまで凝り性ではないが、面白いものを見つけると、すぐに欲しくなってしまう方で、アメリカに住んでいた頃は珍しいものを色々捜し歩いたりもした。じゃあ何があるのと聞かれてもたいしたものがあるわけではないけど結構面白いものもあったりする。
ある通販で買ったものに、各種チーズ用の小さなナイフ(5本セット)などは、そんな各種のチーズの大きなものが日本では手に入りにくいのに買ってしまった。エビの背中から開ける道具(はさみ−用途は背わた取り)、ロブスターの身をほじくるもの(日本でのかにを食べるやつ)、パスタマシン、ワッフルメーカー、各種包丁(洋包丁)その他色々な小物類。一度も使ったことがないものもいっぱいあって女房にはよくしかられる。お気に入りの一つは、ワインオープナーかな?たまたまボストンからサンフランシスコに出張が入ったので、予定より一日早く日曜日に出て、ナパバレーツアーに参加したときの一軒のブリュワリーで売っていたもので、すこぶる調子が良い。良くある、くるくるとねじみたいなものを回しこんでやるタイプはまっすぐ入らないと下手にコルクが切れてしまったりして失敗することもあるが、ここで買ったものは今までに失敗が一度もない。
(これを書いた後一回失敗してしまった)構造は至って簡単で、二本の薄いバネが取っ手から出ており、交互に左右に振りながら、ビンとコルクの間に差し込んでゆき十分入ったところで、ゆっくりとただ抜けばよいだけである。これは余り日本では見かけない。もし家に来られる事があったら是非お見せしよう。そんな訳で、アメリカで仕入れた小物には面白いものがいっぱいある。又探しに行こう。
February 19, 2007

料理が好き 7-9
料理が好き 7 お寿司は難しい?

僕は家庭料理しか作れないし----と書いてきた。その中でも、お寿司にはなんとなく作るのが難しいと言う思いが強かった。だから、結婚してからも、いろんなお寿司は女房しか作らなかった。
アメリカに行ってから、ある人に教わったことのひとつに、寿司作りがあり、やってみると簡単だったので驚いたことがある。
アメリカには、殆どの大都市に、韓国の料理素材や日本の素材を扱っているスーパーがあり、殆どのものが手に入るので、そこで、永谷園の寿司の元などを買い、そのレシピ通りに作ってみたら?と教えられた。そしてやってみると、本当に簡単にそして、まずい寿司が出来て、びっくり仰天。特に、僕の中の常識では、「酢あわせ」は絶対に僕には出来ないと思っていた。そこで、もっていった料理の本(本格的な)をひも解き、一からやってみたのである。じゃじゃじゃーん。
うまく行って本当にうまい寿司が出来たぁー。
やってみると簡単で、今では酢や砂糖および塩の量なども目分量だし、作るお寿司によっても甘目や少し酢を利かせたりなどと工夫が出来るようになっている。
もっと早くからやっているべきだった。



料理が好き 8 お寿司に挑戦

初めてのお寿司は、前述のように永谷園のちらし寿司の元だったから、分量どおりに米をたき、酢あわせの確か粉の酢を混ぜるだけであった。挑戦と言うのもおこがましいくらい拍子抜けしてしまうほど簡単に出来てしまった。でも、メーカーの作った出来合いの味であり、初めて出来たという感動(?)はあったものの、おいしいとはおもわなかった。それからいろいろなお寿司に挑戦することになっていった。まずはチラシ寿司、いなり寿司(こんなものでもアメリカのスーパーで手に入っていた)、そして巻き寿司を作った。どれも何回か作るうちに、自分なりに満足できるものが作れるようになり、僕のレパートリーの中でも好物になって行った。
 男の寿司なので、結構へんなところにこったりもしている。たとえば、チラシ寿司なんかは、えびとアナゴをたくさん入れるし、野菜類はなるべく細かく切るのが好みである。巻き寿司では、アナゴと三つ葉をいっぱい入れるのが好きな味である。子供たちが小さいときは、握りみたいなことも結構やっていた。子供って、食べられるねたが少ないので家でやったほうがおいしかったようだ。新鮮な鯖があるとバッテラも作ったが、どちらかと言うとすっぱく出来ていたように思う。
 このごろは外食と言っても、ダイエットの関係からか、脂っこいものは殆ど食べなくなったので、寿司を(回転寿司)食べることが多くなったが、やはり自分で作ったものの方がうまいと思う。



料理が好き 9 お寿司はおいしい

 わざわざ「寿司はおいしい」と言うコーナーを作ったのは、ひとつには、子供のころ、親父が生が嫌いだったため、たまに連れて行ってもらったすし屋でも、食べられるネタが殆どなかったからで、寿司がおいしいと思える様になったのはつい最近だからに他ならない。
昔だと、鯖寿司なんか気持ち悪くて食べられなかったし、もちろん、生魚ののったニギリ寿司なんてもってのほかであった。過去形にしていたのに、このコーナーの題と違うことを思い出してしまった。やはり、今でも生魚ののったニギリ寿司には好き嫌いが多い。白身の魚(鯛や平目)、ブリの一派、サーモン、その他一杯等などは好きではない(嫌い)。又、生魚は原則嫌いなので、お造りなどは女房専用には買ってくるが僕用には買った事はほとんどない。となると何が食べられるの?と言うくらい好きなものが限られている。
でも、上記の一部の(?)ニギリ以外の寿司は総じて大好物で、やっぱり「寿司はおいしい」となる。ホントおいしい。
自己分析をしてみると、多分、あっさりとした寿司飯が好きなのだろうと思う。売っている物と違い自分で作るものには、へんな味が添加されていないし、自分の好みで何とでも味の調整が出来るからだと思う。そのような調整が出来るのが自分で作る寿司の一番いいところだと思う。で、「寿司はおいしい」
February 19, 2007

料理が好き 10-12
料理が好き 10 パン作り 1 フランスパン

 お袋とおばさん(お袋の姉)は二人の両親の影響もあってか、歳の割にはモダンな人たちであった。パンはあまり記憶にはないが、小さいころからよくケーキや御菓子類を作っていた。もちろん今流行のものも多いが神戸の外人さんたちに習ったものや、おふくろさん直伝のレシピがあったりして、今御歳90近くの人が、ケーキを焼いていたなんて、やっぱりモダンだったんですよね?そんな影響からか、家にはずーっと、又、女房と結婚してからもずーっとオーブンが身近にあった。
 そんなわけで、2‐3年前から、何の気なしに(これが僕の成功の秘訣)始めたのが、パン焼きである。僕の料理と一緒で、実用一点張りの、フランスパンとベーグルをまずはターゲットに選んだ。
 結果を申し上げると、フランスパンは惨敗で、ベーグルは“やったぜぇーい”となった。横浜時代、女房が習いに行っていたときはまったく興味もなかったのに、すぐに気が変わってしまい、のめりこんでしまう悪い癖が出てしまった。フランスパンを焼きたくて、と言うか、あのパンの本当の焼きたてを食べたくなってしまったと言う卑しい根性から本やインターネットで情報収集を始めた。
 何冊か本を買ってきて、コルドンブルーの田舎フランスパンにターゲットを絞って始めることにした。さあさ、お立会い!以下次号を乞うご期待?



料理が好き 11 パン作り 2 フランスパン

 女房のアドバイスを聞き流しながら、コルドンブルーのフランスパンなる本を買ってきて始めることにした。本の中のいろんなフランスパンを見たり読んだりしていると、このパンそのものが、フランスの家庭で作られ、愛されていることがよくわかる。と言うことはお寿司と同じで、ソウルフードなのだから、簡単に出来るだろうと言う読みもあった。女房曰く、パン作りは温度のコントロールが一番で、あと湿度やその他の管理が大変だと言う。でも、僕に言わせると、田舎で作っている家庭のパンが、いつもいつも厳密な温度コントロールなんか出来ないし、時間の管理なんかも出来るはずがない、と思っていた。だからそんなに厳密にしなくとも、そこそこのものが作れると思っていた。
 まずはパン粉を買い求め、イーストを買い、厳密に計量を行い始めることにした。パン粉は、超強力粉のフランスパン用の粉を元町の明治屋まで買いに行き、ドライイーストも同様に買い求めてきた。イーストの量がすごく少なく、家庭用の(パン造り用のものでも)秤では厳密に計ることが出来ず、わざわざ、病院まで行ってお薬用のはかりで計量していた。塩も同様に計量し、お薬用の薬包紙に入れて帰ってきた。
 パンを作ると言うことは、生地をたたく(ご存知の方はよくわかる)事から始めるが、我が家には家庭用のパン捏ね機があったので、この点は楽に取り組むことが出来た。と言うより、マンションの中では、どたんばたんが近所迷惑で出来ないので非常に助かっている。パン捏ね機の中に、厳密に計量した粉やイーストおよび塩などを入れ、スイッチオン。形状を整えたり、筋目を入れ、一次発酵から二次発酵を経て、焼きに入る。焼きはフランスパンでは、まわりを例のごとくパリッと仕上げるため、オーブンの中に水を入れておく。このように本には書いてあったかどうか?ともかくも形を整え水を入れ、オーブンに放り込んだ。
 見事に失敗。断面が円形ではなく、ぺちゃんこになっている。まるで饅頭かせんべいみたいであった。皮も想像以上に硬く、せんべいよりもたちが悪かったかもしれない。手を変え、品を変えいろいろ工夫をしても粉を変えても、程度の差こそあれ、まったくうまいフランスパンは出来なかった。残念ながら、何度やっても同じだった。フランスパンはあきらめた。



料理が好き 12 パン作り 3 失敗の原因?

 残念ながら不明。一時発酵から二次発酵成型の段階がひとつの山かな?などとも思うし、温度コントロール?もまずい?生地の段階がやわらかすぎると、二次発酵でぺしゃんこになってしまうし、ココを硬くしすぎると出来上がりも硬すぎてしまう。難しいもんだ。
 それと、フランスパンは、前日から発酵ダネを用意しておかないと丸々一日パン作りに時間を割いてしまうことになるので、そういう意味でも大変な作業で、何日も何日も貴重なお休みを無駄にすることも出来なかった。
 どなたか、お教えいただけないだろうか?弟子入りします。
February 19, 2007

料理が好き 13-15
料理が好き 13 パン作り 4 ベーグルに挑戦

 ベーグルは、物の本によると、もともとはユダヤの食べ物で、いつのころにかアメリカに入り、アメリカの会社での早朝会議や、午前の会議などにはいつもクリームチーズやジャムなどとともにサービスされていた。少なくとも僕のいたアメリカの会社ではそうだった。一番の(僕なりの)おいしい食べ方は、シンプルには、半分に切りトーストし、熱々のベーグルにこってりとクリームチーズを塗ってそれを大きな口をあけて放り込むことである。ベーグルにもいろんな種類があるが、僕はプレーンかガーリックもしくはオニオン味が好きである。いずれもクリームチーズとはよくあう。又日本で紹介されているのは同じくトーストしたベーグルにいろんなものをはさんだサンドイッチが主流のように思う。何をはさんでもおいしい。
 食べ方や、思い出はここまでにして、さあ、作り始めるにあたって、またもや資料集めである。本やインターネットでレシピを集め、トライしてみることにした。ベーグルはフランスパンに比べ、いたって簡単であったが、作ってみて、いかんともしがたい点が二つあった。ひとつは軽すぎるパンしか出来なかったことであり、もう一つはやはりぺしゃんこになってしまうことであった。僕たち家族は、アメリカでベーグルの味を覚えたので、やっぱり、オリジナルの味がおいしいように思う。
皆さん、日本のパンとアメリカのパンの違いが分かりますか?トヨタとGMやフォードくらいの違いがあります。すなわち、隅々まで気配りがされ、洗練された作り方で作られているのが日本のパンで、アメリカのはオリジナルをあくまでも追及し、原点に近いものがおいしいと思われているように思う。だから、アメリカ現地の人の作っている豆腐は日本のものに比べると格段に旨いし(大豆の詰まっている量がまるで違う)、アメリカのスーパーで売っている果物でも、日本の果物のほうが格段に甘いし旨いという物が多いと思う(日本のものは改良されて旨い)。(この項は又別な項目で取り上げます)
 ベーグルで言うと、アメリカのベーグルはどっしりと重くぎゅーっと小麦粉が詰まっているのに対し、日本で売っているベーグルはなんか食パンを丸くドーナツ型にしただけのスカスカと言う感じがする。ある意味で、洗練されたかもしれないが、おなかは膨れないし、かぶりついてもすぐぺしゃんこになってしまう。これはベーグルではない。
 どうやら、作り出すまでに思い込みがあったようだ?




料理が好き 14 パン作り 5 ベーグル作り

 そのような次第で、自分のイメージに合ったベーグル作りが始まった。
 レシピどおりに作っていると、フランスパンでもそうであったが、柔らかすぎるし、焼いているときにどうしてもぺしゃんこになっていく。どうも水の分量が多すぎるようで、レシピからはかなり水の量を少なくし、かつ、捏ねている最中でも柔らか過ぎるようだと粉を足して調整するようにすると、かなり理想的なものが作れるようになってきた。
つい最近のでは、フライドガーリックを入れて作ったが、香りといい出来上がりといい、僕のベーグルが出来てきたように思う。
 僕のレシピはいたって簡単で、600グラム近い強力粉に、ドライイーストを大匙2杯半から3杯位入れ、砂糖大匙3杯、塩小匙1/2杯を入れよく混ぜ合わせた後、ようやく纏まる位の水(ぬるま湯)約300mlを入れ、まとまった生地を約15−20分位パン捏ね機で捏ねる。
このとき、水の量を上記のごとくちょうど纏まるくらいにしておかないと、ぷーっと膨れ過ぎたたパンになり、出来上がり時にはぺしゃんこのベーグル状の円盤になってしまう。成型(ドーナツ状に)するのは小さくそして高くするのがよいようで、このあとの発酵やお湯で煮るときに大きくなりすぎると厄介なだけである。成型後ふきんをかけて35度に保温したオーブンで20分間発酵をさせる。発酵が終了すると大きなおなべに大匙2杯の砂糖を入れた沸騰したお湯の中に入れ、表と裏を各々1分20秒ずつしっかりと煮込む(?)。お湯からあげ、直ちに200度に熱したオーブンに入れ、約20分焼く。
 すべてに「約」と書いたのはその場その場での臨機応変なのでご容赦願いたい。
 20分から23分くらい焼いたパンは出来上がりはつやつやふっくらとしているものの、網の上で十分に冷やすと表面が少しニキビ面になってしまうが、これは致し方なしとあきらめている。出来上がりのパンは決してうまくはないが、一時間くらい冷やしたパンはそれなりにかなりうまい。僕は以上の作業を水曜日に行うことにしている。もしお昼に往診もなければ、昼食後焼いてしまうし、お昼に手術や往診が入っていると、夜の診察が終わってから、一杯やりながらパン(ベーグル)を焼くのである。一回に10−12個位のパンを焼くので、これらのパンが次の一週間の朝食になる。




料理が好き 15 パン作り 6 ベーグル作りのコツ

 僕なりのコツは、多めの粉に少なめの水(最低限まとまるだけの)、多めのイースト、ドーナツ状にするとき大きな輪にせず背高にする、中に入れるオニオンやガーリックそしてブルーベリーは気が向いたら入れる。よく入れるのはフライドガーリックや乾燥オニオンなどで、出来上がりはともにおいしい。プレーンもうまい。成型は気にせず雑にやっても失敗したことはない。お湯の中のベーグルをひっくり返すのはうまくやらないと筋が着くので、てんぷらなどを揚げる金網のものを使っている。おなべはかなり大き目のものを使わないと膨れたベーグルがくっつきあって三角おむすびみたいになってしまう。(失敗すると分かる)いずれも膨れすぎ。
 こんなところかなぁー?時間はいずれも大体こんなもので、焼く時間は表面を見ながらやればよい。お試しあれ。
 ちなみに、毎日の朝食は、ベーグルを半分に横に切り、トーストし、キュウリやレタスなどのお野菜と、ハムやベーコンおよびソーセージなどを焼いたものとサンドイッチにして食べる。コーヒーはインスタントではなくドリップで淹れたものをミルクたっぷりでいただく。どう?おいしそうでしょ?これで飽きないのだから不思議?
February 19, 2007